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地図の日

2017-04-19 23:45:04 | 之波太:柴田
朝、ラジオで今日何の日コーナーで「地図の日」と話していました。
調べると、
○地図の日(最初の一歩の日)
日本で初めて精巧な地図を作った伊能忠敬が、寛政12(1800)年閏4月19日に最初の測量として
蝦夷地(北海道)に向けて出発した最初の日を記念したものです。
この地図は「大日本沿海輿地全地」といいます。

伊能忠敬は千葉で商いをしていましたが50歳で隠居し、暦学を学ぶため江戸に行き、天体観測や測量に
ついて学びました。
当時遠方に測量に行くには幕府の許可が必要ですが、ロシアの動きなど国防上幕府としても地図が必要な
時期であったこともあり蝦夷地測量の許可がおり、その事業を担当したのが伊能忠敬でした。
当初は許可のみで自費でしたが、半年後東日本の地図をみた将軍家斉により、続けて西日本の地図を作るよう
幕命が下り、正式な国家事業になりました。
歩いた道のりは約4千万歩以上、足掛け17年かかり作り上げた地図ですが、残念ながら伊能忠敬は測量を
終え地図をつなぎ合わせる作業の中、73歳で生涯を閉じています。
出来上がったものは精巧なもので、開国後にイギリス海軍が日本沿岸の測量を行おうとした際に幕府の
役人の地図を見て、その優秀さに驚き測量を中止したといわれるほどです。
1827年に起こったシーボルト事件はこの伊能忠敬の地図をシーボルトが国外に持ち出そうとした事件です。
伊能の測量技術は極めて高度で、子午線1度の長さは約110.74kmとしており、今日の計測値と
比べても0.1パーセントの誤差というきわめて正確な数字を割り出していた。

伊能忠敬は測量のため、奥州街道を通っています。柴田町分は、
第1次測量 往路
 寛政12年(1800)4月27日
 大河原宿を出立し、舟廻宿、槻木宿、・・・仙台城下止宿
第1時測量 復路
 寛政12年10月9日
 槻木宿、舟廻宿・止宿
 10日、舟廻宿・出立

第2次測量 復路
 享和元年(1801)11月24日
 槻木宿、舟廻宿、大河原宿・止宿

舟廻は、船迫の別名


伊能忠敬の切手
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