「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」 (新約聖書 ローマの信徒への手紙12章15節)

光が丘キリスト教会
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恵みの中で(コリントの信徒への手紙一、5章9節から13節)

2015年08月27日 | 今週の説教

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コリントの信徒への手紙一、5章9節から13節

9わたしは以前手紙で、みだらな者と交際してはいけないと書きましたが、10その意味は、この世のみだらな者とか強欲な者、また、人の物を奪う者や偶像を礼拝する者たちと一切つきあってはならない、ということではありません。もし、そうだとしたら、あなたがたは世の中から出て行かねばならないでしょう。11わたしが書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の物を奪う者がいれば、つきあうな、そのような人とは一緒に食事もするな、ということだったのです。12外部の人々を裁くことは、わたしの務めでしょうか。内部の人々をこそ、あなたがたは裁くべきではありませんか。13外部の人々は神がお裁きになります。「あなたがたの中から悪い者を除き去りなさい。」

 

 

皆さんには、受け取った手紙を取っておく習慣はあるでしょうか。

いただいた手紙を保存しておくということをなさっているでしょうか。

すぐに捨ててしまう人と、ずっと取っておくという人がいるような気がします。

私は、ずっと取っておく方なんですね。

手紙専用の収納ケースを持っていて、読んだ手紙はそこに順次しまっていくんですね。

どうしてこういう習慣が身についたのかなと思いますが、考えてみますと、これは高校生だった時に私の習慣になったようです。

高校一年生の時の同級生が、お父さんの仕事の都合でアメリカに渡るということがありまして、その友人と、手紙のやり取りが始まったんですね。

当時はインターネットはまだ普及していませんでしたから、電話か手紙でしかやりとりができない時代でした。

電話代も高かったものですから、やりとりは主に手紙を介してになります。

その彼とは今でも付き合いがあるくらいの、本当の親友でしたから、その手紙は私にとって大切なものなんですね。

それで、手紙を取っておいて、何度も読み直したものでした。

 

今回実家に帰ってみて、押入れの中をそれとなく覗いてみたところ、手紙の収納ケースが見つかりました。

そんなに熱心に手紙を読み直したりはしなかったのですが、読んでいて、不思議なことに気がつきました。

残っている手紙と、残っていない手紙があるんですね。

私としては全部の手紙を取っておいた気になっていたのですが、どうやらそうではないようなのです。

明らかに、いくつかの手紙はなくなってしまっているのです。

残っている手紙を見ていきますと、話がつながっていないんですね。

それで、いくつかの手紙がなくなっていることに気づきました。

どうしてなくなってしまったのかは分かりません。

当時の私にとってはどれも大切な手紙ですから、大切に保管したはずなんですが、捨ててしまったようです。

読んですぐに捨てたのか、後から整理し直した時に捨てたのかはわかりませんが、とにかく、なくなっているんですね。

 

コリントの教会でも、同じことが起こっていたようです。

コリントの教会も、パウロからもらった手紙をなくしてしまっていたんですね。

そのことが、今日の最初のところでわかります。

9節に、私は以前手紙で、こういうことを書きましたが、と書かれていますが、その、以前書いた手紙というのは残されていないんですね。

パウロがコリントの教会にあてた手紙で残されているのは、聖書に収められた2通の手紙だけです。

その他の手紙は残されていないんですね。

パウロからの手紙はコリント教会にとってとてもとても大切なものだったはずなのですが、コリント教会は、パウロからもらった手紙をすべてきちんと保管していたわけではないようです。

 

けれども、コリントの教会の人たちは私なんかよりよほどきちんとしていたんだろうと思うんですね。

何しろ、どの書物を新約聖書の正典とするのかが一応確定したのは4世紀も終わりになってからのことです。

そして、この手紙が書かれたのは紀元50年代です。

ですので、コリントの教会の人たちは、パウロからもらった手紙を、350年間も大事に大事に取り扱ってきたんですね。

私はせいぜい20年前の手紙をなくしてしまっていたわけなんですが、コリント教会の人たちは、350年間も、2通の手紙を保存してきたのです。

これは、鍵をかけて大事にしまっておいたということではないと思いますね。

他の教会の人たちにも、この手紙を紹介していたに違いありません。

だからこそ、多くの教会でこの手紙が書き写されて読まれて、やがて、聖書正典に加えられることになったわけです。

これはすごいことだと思うんですね。

この手紙を他の教会の人たちに読ませることは、コリント教会の人たちにとって、自分の恥を晒すことです。

パウロは、コリント教会の問題点を具体的に取り上げて、それをただしているわけですから。

けれども、コリント教会の人たちは、それを恥とは思わなかったんでしょうね。

「この手紙によって、私たちは立ち直った。この手紙を通して神の恵みを受けた。どうぞ皆さんも読んでください。同じ恵みにあずかってください」。

これが、コリント教会の人たちの気持ちだったんじゃないですか。

だから、この手紙を、私たちも読むことができるわけです。

もし、コリント教会の人たちが、パウロからもらった手紙を恐い裁きの言葉だと思っていたら、そもそも残しておかないですよね。

そうではなくて、自分たちはここから大きな恵みを受けた、それを分かち合いたいと思ったから、時代を超えて読みついだんだし、広めて行ったんです。

そのつもりで、読んでいきたいと思います。

コリント教会の人たちも、私たちがこの手紙から恵みを受けることを喜んでくれるに違いありません。

 

今日の箇所の論点は、教会の外部の人々を裁くな、その裁きは神様にお任せしろ、教会の内部の人で罪を犯している人を裁きなさいということですね。

なんだかこれでは、怖い手紙のようです。

けれども、パウロが、外部の人を裁くな、内部の人を裁きなさいというのには理由があるんですね。

それは、この直前の箇所です。

7節の最後に、キリストは過越の小羊だと書かれています。

過越の小羊というのは、キリストが私たちの代わりに犠牲になってくださったということですね。

そして、それによって私たちの罪がゆるされたということです。

私たちの罪はゆるされているんです。

だから私たちは、8節の最後にありますが、そのことを祝いながら生きていくんですね。

それが教会というもののありようなんです。

教会は、罪の赦しの恵みを祝う群れなんです。

だからこそ私たちは、自分たちの中にある罪を真剣に問うことができるんですね。

すべてゆるされた上でのことですから、自分の中にある罪を見出し、それを直視することができます。

ですから、ここで書かれている言葉は、怖い言葉のようでいて、赦しの恵みが前提にあるんですね。

赦されているからこそ、堂々と罪と向き合い、それを取り除くことができる。

取り除くといっても、単に排除するということではありません。

5節に書かれていますが、その人が救われるためにするのです。

ただ、朱に交われば赤くなるということがないように、その人が悔い改めて赦しにあずかるまで、交わりを断つのです。

これは、すでに赦されているという確信があるからこそできることです。

自分も、どの人も、この大きな恵みの中にいるという確信があってこそ、できることです。

 

コリント教会は、そうすることができたんじゃないですか。

だからこそ、自分たちの罪が公に知られてしまうような、こんな手紙を、恵みの手紙として広めていくことができたんじゃないですか。

これはすごいことですよね。

自分の犯した罪が、もうすべて赦されているから、何を知られても大丈夫。

すごい信仰ですよね。

私たちもそれでいいんです。

私たちも、すべての罪を、もうすでに赦されている。

だからこそ、いつもそのことを喜び祝っているために、これからも、罪と向き合っていきましょう。

心配はいりません。

私たちは、神の子の犠牲によって赦されたのです。

神が私たちを赦してくださったのです。

赦しの恵みは私たちを超えて確かなものです。

その確かさの中で、罪をうやむやにしたりせずに、しっかりと取り扱っていきましょう。

 


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