狭山福音教会の聖書ショートメッセージ・レジメ・コラム・例話(キリスト教 )

大阪狭山市にあるプロテスタントキリスト教会。JEC狭山福音教会の牧師による聖書ショートメッセージ・コラム(説教 例話)。

メッセージレジメ@2011年4月17日(川崎 豊信)

2011-04-19 12:07:27 | キリスト教
日時:2011年4月17日
場所:狭山福音教会(第3主日)
聖書:創世記45:1~15
題:「神の時」


 京都の伏見工業高校ラクビー部・山口良治監督は、1981年12月10日のNHKテレビ「おはよう広場」で、自分はダメ監督だったと語っていた。

 「監督をしてさあどうやろうか、何からやろうかとおもっていた時に、花園高校っていう強豪チームと当たりました。112対0という私にとって屈辱的な大敗を喫したわけです。昭和50年(1975)5月17日、忘れはしないんですが、その場面で、少なくとも私自身が何とも言えない屈辱感、何もしてやれないもどかしさの中で、とうとう80何対0のときに涙がふき出てきまして、あの涙でぼくは全日本選手だったっていうような生意気さだとか、ほんとに今まで子どもに何もしてやってもいないのに、子どもが悪いんだとか、おまえなにやってんだっていうような気持ちを、流されたと思うんです。…… そこからはじめていって、実質全国大会につながるには五年かかったんですが。そして二回目ですばらしい日本一という成果を子どもたちが収めてくれた。……指導の原点は、約束を守ろう、みんなで決めたことをみんなでちゃんとやろうじゃないか。言い訳をするなというようなことから、ひじょうな低次元なことから始めたんです。」

 山口良治先生は、新任で大変な高校へ配属させられたと思った。しかし荒れた子供達を指導し自信を持たせることによって、日本一のチームにした。その後、全国の教育者が先生の指導に注目するようになったのである。先生は現在では京都市教育委員会で教育者の指導に当たっておられる。

 ヨセフは計らずも、エジプトに売られ、苦労し大変なところに来たと思った。しかし神を信じ必ず良くなると信じた。苦労の末エジプトの総理大臣となり、全世界的飢饉の折にイスラエルの自分の家族を救う事になった。神の摂理というものはある。そして神を信じる者に全てが益と変えられるのである。これが神の摂理である。

本日の箇所を3つに分類すると次のようになる。

~~~~~~~~~~~~~アウトライン~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
A 自分のことを打ち明けるヨセフ(1~8節)
  -神を信じる信仰の素晴らしさ-
B 父ヤコブを呼び寄せる(9~15節)
  -時を見定める-
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

A 自分のことを打ち明けるヨセフ(1~8節)
-神を信じる信仰の素晴らしさ-

45:1 ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、「みなを、私のところから出しなさい。」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。
45:2 しかし、ヨセフが声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、パロの家の者もそれを聞いた。
45:3 ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして驚きのあまり、答えることができなかった。
45:4 ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。
45:5 今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。
45:6 この二年の間、国中にききんがあったが、まだあと五年は耕すことも刈り入れることもないでしょう。
45:7 それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。
45:8 だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。

* 2~3節「泣いた」→感極まったヨセフは声を上げて泣いた。そしてエジプトの総理大臣が突然、通訳なしのヘブル語で私はヨセフですと告白したのである。「驚くのあまり」→兄弟たちの驚きがどれほどのものであったかは察するにあまりある。
* 4節「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです」→どのくらいの長い間ヨセフはこの一言を語りたいと思ったことだろう。しかしヨセフの次の言葉は、兄たちを責めるものではなかった。
* 5節「神は命を救うために」→ヨセフの物語全体を通じての中心的なメッセージの1つ。同時に聖書の示す神の御業の本質を明らかにしている。人間の目には最も忌わしい肉親相殺からの出発が、神の側からはヨセフが神に遣わされるための出発点として映し出されている。
* 7節「あなたがたのために」→その子孫を含んだ広い意味。「残りの者」→救われるべきイスラエルの全家。

(中心的メッセージA)
5節「今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。」ここには、人間の現実と神の現実がある。人間の目では肉的な行為が、神の目には1つの益となる計画となった。だから信仰は大切である。信仰を持って行くときに、人の目には悪いと思えることでも、逆転して神の栄光へと変えられるからである。

参照聖句→エレミヤ29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。29:12 あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。29:13 もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。

参照聖句→ロマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。8:30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。

(例話A)
コーリー・テンブームは「隠れ家」という本の中で、全てのことに感謝するという原則を教えられた出来事について書いている。これは第二次世界大戦中のことだった。

 コリーと姉のベッツィーは、ユダヤ人をかくまった事が発覚して、レイベンスブルックの収容所に送られた。バラック建ての収容棟はすし詰め状態で、しかもノミがいっぱいいた。
 ある朝二人は、ボロボロの聖書を開き、テサロニケの手紙第一の一章からいつも喜んでいるようにとのみことばを読んだ。ベッツィーがいった。「この収容棟とこのノミにも感謝せよと言う事よね。」コリーは答えた。「ノミのことで神様に感謝するなんてとてもできないわ。」しかしベッツィーはコリーを説得して二人でノミについても神様に感謝した。

 その棟が監視の目から割合自由なのに気付いた彼女たちは、その後数ヶ月間、収容棟の中で聖書研究をしたり、自由に語り合ったりした。それどころか自由に祈る事さえ出来た。
 そこが彼女たちにとって唯一の避難場所となったのである。後になってどうして監視兵がその棟に入らなかったか、その理由が彼女たちに分かった。その棟はあまりにもノミが多かったので、監視兵たちはそこを避けていたのだった。

 コリーたちは、自分の状況は最悪だと思った。しかし感謝の祈りを捧げることによって後に神の栄光を見ることになった。この「隠れ家」という本はベストセラーとなって後に映画化され、今も全世界で読まれている。

B 父ヤコブを呼び寄せる(9~15節)
-時を見定める-


45:9 それで、あなたがたは急いで父上のところに上って行き、言ってください。『あなたの子ヨセフがこう言いました。神は私をエジプト全土の主とされました。ためらわずに私のところに下って来てください。
45:10 あなたはゴシェンの地に住み、私の近くにいることになります。あなたも、あなたの子と孫、羊と牛、またあなたのものすべて。
45:11 ききんはあと五年続きますから、あなたも家族も、また、すべてあなたのものが、困ることのないように、私はあなたをそこで養いましょう。』と。
45:12 さあ、あなたがたも、私の弟ベニヤミンも自分の目でしかと見てください。あなたがたに話しているのは、この私の口です。
45:13 あなたがたは、エジプトでの私のすべての栄誉とあなたがたが見たいっさいのこととを私の父上に告げ、急いで私の父上をここにお連れしてください。」
45:14 それから、彼は弟ベニヤミンの首を抱いて泣いた。ベニヤミンも彼の首を抱いて泣いた。
45:15 彼はまた、すべての兄弟に口づけし、彼らを抱いて泣いた。そのあとで、兄弟たちは彼と語り合った。

* 10節「ゴシェンの地」→ナイルデルタ地帯の東部。ここは牧草豊かな地。
* 11節「私はあなたをそこで養いましょう」→ヨセフは飢饉がまだ初期の段階にあり、したがってこのままではヤコブ一族は生存できないと判断し、彼らを速やかにエジプトに導こうとする。

(中心的メッセージB)
9節「急いで」「ためらわずに・・来てください」とある。神の時に敏感であることが大切である。そして急いでとは良いと決めたらすぐに行動するということである。この時には飢饉時であったから当然だが、神のチャンスは逃さず波に乗る事が大切だ。

参照聖句→伝道者3:1~「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。3:2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。」

参照聖句→使徒16:31~「ふたりは、『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』と言った。16:32 そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。16:33 看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。」

(例話B)
杉原千畝は、ユダヤ人に6000人分のビザを発行し、公職を追われた。
氏は1900年に岐阜に生まれた。父の仕事の関係で朝鮮の京城に移住し、大学生の時に外務省のロシア語留学生としてハルピンに渡った。その後ロシア語を習得し、ハルビンの日本領事館に就職した。そして外交官となりフィンランドのヘルシンキ、リトアニアのカウナスなどへの転勤をした。

 1940年7月、ナチスドイツに迫害されていたユダヤ人たちは、日本通過ビザを求めカウナスの日本領事館に押し寄せた。オランダやフランスはナチスに占領され、ソ連から日本を通って他の国に逃げるほか、もはや助かる道がなくなっていたためだ。
氏は5人のユダヤ人代表を選び話を聞いた。数人のビザなら発給できるが、数千人のビザとなると本国の許可がいる。電報を打って問い合わせたが日本政府は再三に渡り「ユダヤ人難民にはビザを発行しないように」回訓を与えてきた。

一晩中考えぬいた末、氏は外務省の意向に背き、自らの判断でビザを発行する事を決めた。それから1ヶ月間の間に6000とも8000とも言われるユダヤ人ビザを手書きで発行した。氏の腕は腱鞘炎で腫上るほどであったといわれる。その結果多くのユダヤ人の命が救われた。氏はその後1947年に外務省から職を追われた。
しかし1985年にイスラエル政府より「ヤド・バシェム章(諸国民の中の正義の人に与えられる)」を受賞した。その翌年86歳で地上の生涯を終えた。

一晩、杉原氏は神に喜ばれ人に喜ばれることは何かを考えた。そして世の役に立つなら早い方が良いと判断したのである。私達も御心と悟ったならばすぐに実行に移して行くべきである。サタンの誘惑の触手に惑わされないためにもである。

(結)
 人の現実(状況)はどうあれ、神を信じ続ける事によって、神の現実(栄光)が現れる。また御旨と知ったら即行動に移すことである。そこに祝福がある。
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