JEC狭山福音教会(大阪狭山市)の聖書・キリスト教・例話コラム

大阪狭山市にあるJEC狭山福音教会(プロテスタントキリスト教会)の牧会スタッフによる聖書・キリスト教・例話コラム。

メッセージ@10月31日(川崎 豊信)

2010-10-30 19:36:09 | 癒し
日時:2010年10月31日(日)
所:www.sayamaec.com(第5主日)
聖書:創世記38:1~30
題:「チャンスを生かす秘訣」

 これは「日本人だけが知らない日本人のうわさ」というジョークである。

 アメリカに外国人用の英会話スクールがあった。アメリカに来ていながら、英語がほとんどできない人のための語学学校だった。
 ある年、白人の若い男性が教師になった。彼は授業を担当する前に、先輩の日系人教師から次のような助言をもらった。

 「日本人は舌をうまく動かして発音することができません。だから、発音を教える時は口の動かし方を指示してあげて下さい。たとえば、Fを発音する時は『上の前歯で下唇を噛んで発音しなさい』というように言えばいいのです。」
 この白人の若い教師は助言の通りにしかも熱心に日本人の生徒たちに教えたのだ。すると、日本人たちは言われた通りにしたので、学生たちの口から真っ赤な血がダラダラと流れはじめたらしい。
日本人というのは非常に勤勉で教えに忠実だが、融通がきかない民族でもある。
(「日本人だけが知らない日本人のうわさ」)

 日本人が非常に勤勉であったから戦後の高度経済成長があった。資源が少ない日本が技術大国となったのは、日本の会社がビジョンを打ち出し、社員が会社に忠実であったからだ。
日本人が会社のみならず、神に忠実な国民となれば、質的にも機能的にも世界一の国となるであろうと思われる。

 さて今日の箇所にはユダの妻タマルが登場する。タマルは元はユダの長男の嫁であったが長男の死によって結果としてユダに嫁いだ。タマルは律法(レビラート婚)に忠実であろうとした。
律法は恐れの動機から行おうとするならば実行不可能なものになる。しかし人と自分を愛する愛の動機で行おうとするならば祝福となる。レビラート婚を順守したタマルは結果として祝福を受けた。タマルの血統は、ユダ族の直系のものとなったのだ。
 
 またこの箇所では、タマルの子ペレツの出産の記事がある。ペレツは自分から出てきた。そして本来は弟であったペレツが長子となった。自分で破って出る時に突破口は開かれることを教えられる。

チャンスを生かすためには、主に日々忠実であることと、自らが行動することだ。
本日のアウトラインとポイントは以下のようになる。

************アウトライン*******************
A ユダと嫁タマルの出来事(14~23節)
―律法に忠実にあろうとしたタマル―
B タマルの子ペレツの出産(24~30節)
―自分で破って出る時に突破口が開かれる―
*************************************

A ユダと嫁タマルの出来事(14~23節)
―律法に忠実にあろうとしたタマル―

38:14 それでタマルは、やもめの服を脱ぎ、ベールをかぶり、着替えをして、ティムナへの道にあるエナイムの入口にすわっていた。それはシェラが成人したのに、自分がその妻にされないのを知っていたからである。
38:15 ユダは、彼女を見たとき、彼女が顔をおおっていたので遊女だと思い、
38:16 道ばたの彼女のところに行き、「さあ、あなたのところにはいろう。」と言った。彼はその女が自分の嫁だとは知らなかったからである。彼女は、「私のところにおはいりになれば、何を私に下さいますか。」と言った。
38:17 彼が、「群れの中から子やぎを送ろう。」と言うと、彼女は、「それを送ってくださるまで、何かおしるしを下されば。」と言った。
38:18 それで彼が、「しるしとして何をあげようか。」と言うと、「あなたの印形とひもと、あなたが手にしている杖。」と答えた。そこで彼はそれを与えて、彼女のところにはいった。こうしてタマルは彼によってみごもった。
38:19 彼女は立ち去って、そのベールをはずし、またやもめの服を着た。
38:20 ユダは、彼女の手からしるしを取り戻そうと、アドラム人の友人に託して、子やぎを送ったが、彼はその女を見つけることができなかった。
38:21 その友人は、そこの人々に尋ねて、「エナイムの道ばたにいた遊女はどこにいますか。」と言うと、彼らは、「ここには遊女はいたことがない。」と答えた。
38:22 それで彼はユダのところに帰って来て言った。「あの女は見つかりませんでした。あそこの人たちも、ここには遊女はいたことがない、と言いました。」
38:23 ユダは言った。「われわれが笑いぐさにならないために、あの女にそのまま取らせておこう。私はこのとおり、この子やぎを送ったのに、あなたがあの女を見つけなかったのだから。」

* 1節「ユダは兄弟たちから離れて行き」→38章がユダの物語となっているのは、次の章ヨセフ物語の前置きである。ユダの系図はやがてユダ族となり、南北王国分裂の時に、南王国ユダの中心となる。かたやヨセフから生まれたエフライムは、エフライム族となり、やがて北王国イスラエルの中心となるのである。このようにヤコブの12人の子供たちにおいてヨセフとユダの子孫が後の古代イスラエル王国の中心となったのだ。
* 8節「兄嫁のところへ入り」→子がないままで死んだ兄の弟は、兄嫁と結婚する義務があった。レビラ-ト婚である。申命記25:5以前にはすでに広く行われていた。
* 10節「主を怒らせた」→自慰がいけないとゆうよりも、主と人を欺いた事が裁かれた。
* 11節「父の家でやもめのままでいなさい」→次にユダのなすべきことは、末子のシェラを与えることであった。しかしユダは不安を感じ、問題の解決を後に延ばそうとしている。
* 14節「それで」→タマルがエナイムの入口に遊女を装って座っていたのは、1~13節までの経緯があったからである。
* 14節「自分がその妻にされないのを知って」→だまされたと悟り、今は妻を失って一人でいるユダによって嗣子(しし)をえようとする。
* 18節「印行」→当時の印鑑。円筒形。柔らかい粘土に転がして印をつける。

(固定的メッセージA)
 14節を中心に語られることは以下である。レビラート婚は申命記25:5で定められた律法であった。タマルは夫を亡くした後、その律法に忠実であろうとした。
その結果、方法は稚拙であったが、義父ユダによって血筋を守る事ができた。結果として生まれたペレツがダビデの子孫となり、キリストが生まれたのである。律法に忠実であろうとする時に、神の恵みは注がれる。

 キリストは「私は律法を廃棄するためではなく成就するために来たのだ…マタイ5:17」と言っている。もちろん旧約の律法はキリストが成就してくださったので、新約に生きる者はキリストを信じるだけで救われる。しかし聖化においては、旧約の十戒と、恵みの命令(十一献金・主日礼拝など)は現代の私たちにとっても大切なものである。これらをないがしろにしてはならない。

 恵みの時代に生きる私たちの新約的律法はマタイ22章にある。しかしその具体的な指針は旧約にある。

参考聖句→出エジプト20:3~「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。20:4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。20:5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。20:7 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。20:8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。……20:12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。20:13 殺してはならない。20:14 姦淫してはならない。20:15 盗んではならない。20:16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。20:17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。」

参考聖句→マタイ22:37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』22:38 これがたいせつな第一の戒めです。22:39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。22:40 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」

参考聖句→マタイ23:23 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません。

(例話A)
英国王チャールズ一世の専制政治に反発した議会は、1642年にクロムウェルを指導者とする清教徒を中心とする革命をおこした。
 清教徒軍はついに王軍をやぶり、49年に王を処刑した。清教徒革命といわれるもので、クロムウェルが護国卿となって共和国を指導していった。

 清教徒革命の前に、英国の清教徒の一団が信仰の自由を求めてメイフラワー号で1620年、新大陸北米の大西洋岸北部ニュー・イングランドにはじめて移住した。彼らは「ピルグリム・ファーザーズ」という名で呼ばれた。清教徒信仰は現在のアメリカの信仰の土台となっている。

 北米が南米に比べて祝福されている点は、清教徒的信仰は時に稚拙(禁酒法や安息日尊守州法などがあった)ではあったが、新約の律法を固守するという努力がなされてきたからである。
 方法は多少稚拙ではあっても、神の律法(たとえば捧げ物や、主日礼拝、聖書を学ぶ事など)を守りたいという気持ちが根底にある時、神はその人を祝福してくださるのである。

B タマルの子ペレツの出産(24~30節)
―自分で破って出る時に突破口が開かれる―

8:24 約三か月して、ユダに、「あなたの嫁のタマルが売春をし、そのうえ、お聞きください、その売春によってみごもっているのです。」と告げる者があった。そこでユダは言った。「あの女を引き出して、焼き殺せ。」
38:25 彼女が引き出されたとき、彼女はしゅうとのところに使いをやり、「これらの品々の持ち主によって、私はみごもったのです。」と言わせた。そしてまた彼女は言った。「これらの印形とひもと杖とが、だれのものかをお調べください。」
38:26 ユダはこれを見定めて言った。「あの女は私よりも正しい。私が彼女を、わが子シェラに与えなかったことによるものだ。」こうして彼は再び彼女を知ろうとはしなかった。
38:27 彼女の出産の時になると、なんと、ふたごがその胎内にいた。
38:28 出産のとき、一つの手が出て来たので、助産婦はそれをつかみ、その手に真赤な糸を結びつけて言った。「この子が最初に出て来たのです。」
38:29 しかし、その子が手を引っ込めたとき、もうひとりの兄弟のほうが出て来た。それで彼女は、「あなたは何であなたのために割りこむのです。」と言った。それでその名はペレツと呼ばれた。
38:30 そのあとで、真赤な糸をつけたもうひとりの兄弟が出て来た。それでその名はゼラフと呼ばれた。

* 26節「あの女は私よりも正しい」→ユダは3つの過ちをおかした。①シェラが成人してもタマルに与えなかった。②遊女と淫行の罪を犯した。③タマルの過ちが伝えられた時、自分の罪を黙秘していた。
* 29節「ペレツ」→「割り込む」の意。
* 30節「ゼラフ」→「輝く」の意。

(固定的メッセージB)
 29節を中心とした固定的メッセージは以下。タマルの出産はリベカの時と似ている。しかしこの時、長男であるゼラフは、一度出て次に手を引っ込めた。そこでペレツが出てきたのである。ペレツは自分で割り込むようにして出てきた。そして突破口が開かれたのだ。チャンスがめぐってきた時に、自分で破って出ることだ。その時に主によって突破口が開かれる。

 私達は才能や、賜物を眠らせてはならない。チャンスがめぐってきた時に自分から出ることだ。

(例話B)
 2009年4月、イギリスのテレビ局のオーディション番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」でシンデレラとなった「さえないおばさん」「まったく、らしくない変わり者のおばさん」がいる。
ミュージカル女優のエレイン・ペイジのようなプロの歌手になりたいと語ったところ、その年齢と夢の大きさのギャップに会場からは失笑が漏れ、審査員も呆れた表情を見せていた。

 しかし、彼女がミュージカル「レ・ミゼラブル」の挿入歌「夢やぶれて」を歌い始めるやいなや、たちまち会場は水を打ったように静まり返り、続いてその透き通って深みのある美しい声に、感嘆と感動が会場全体を包んだ。その衝撃は、動画共有サイトを通じて、世界中に広がった。11月のデビューアルバムは世界13か国でチャート1位を獲得し、800万枚を突破した。

 彼女の名前はスーザン・ボイル。1961年、英国スコットランドに生まれた。貧しい環境で育ち、学習障害がった。同居していた両親が亡くなった後、生前の母親の勧めでオーディション番組に応募したのだ。
 スーザンさんは教会の聖歌隊で発声を習ったのだという。そして毎週歌い続けてきたのだ。彼女の外見や身なりはパッとしたものではないが、彼女はビジョンを描いて、チャンス到来とばかりにこの番組に応募したのだ。
(「ポポ」より)

 私達は、恐れてはならない。チャンスの来た時に自分で破って出てみることである。そうすると突破口が開かれる。そして自分の賜物が磨かれる。

参考聖句→イザヤ6:8~「私は、『だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。』と言っておられる主の声を聞いたので、言った。『ここに、私がおります。私を遣わしてください。』6:9 すると仰せられた。「行って、この民に言え。」

参考聖句→マタイ11:10 この人こそ、『見よ、わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を、あなたの前に備えさせよう。』と書かれているその人です。11:11 まことに、あなたがたに告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です。11:12 バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。

(結論)
 チャンスをつかむには、原則である聖書に沿って神に忠実であることだ。神がチャンスの後押しをしてくださるからだ。チャンスをつかむには、自分から名乗り出ることも大切である。天の祝福は門を探す者に開かれるからだ。