コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

年賀の申さるるも如来の御はからひなり

2018-01-07 | Weblog

遅れ馳せながら、一夜漬けならぬ一夜書きの年賀状にて失礼仕り候。
輝いていた頃には500枚購入した。10年前頃から徐々に減らして、近年は100枚も買えば事足りる。そのうち全てやめようと思っている。
頂いた賀状の多くがパソコンソフトによるものである。いちいち墨をすることもなく、美しいものを作ってくれるから便利である。
私も嘗てはそうであったが、100枚程度になってからは表裏手書きにした。一応、画像のように書き、その後、万年筆で添え書きをしている。
どちらが良いと言うことでもないが、頂いた者は、表裏ともに手書きの賀状にメッセージがあれば、やはり温もりが感じられて親しみも一入である。たとえば、この画像

それぞれの方のお顔が瞼に浮かんでくる。住所が少し違うのは旧事務所と本宅の地番の違いだが、郵便番号が書いてあれば届く。
パソコン派はこれだ。字体は微妙に違っているが整然と印字されている。住所はやはり、それぞれ微妙だ。(w)


ちょっと楽しかったのは下の賀状(表)。同じ方から2枚揃って元旦に届いた。書いたかしら?書かなかったかしら?なんて・・・。ご多忙な方なのに申し訳ないことだ。郵便番号、住所も、これまた微妙に違っている2枚。


裏面は、

文面も全く同じではなく、とても楽しく読ませて頂いた。そのうち、お礼の電話をかけようと思っている。

そして、毎年一番楽しみにして待っているのはこの1枚、私のガールフレンドからのもの。


 

初めて彼女に会ったのは、長年、職員研修にお伺いしている社会福祉法人さんの障害児施設だった。まだ小さな女の子だった。毎月の研修には必ず待っていてくれた。何故か私に懐いてくれた。お父さんを亡くしていたこともあったのだろう。ある日、私の写真を欲しいというので、昔、ヨーロッパの街角で写したものと、観音様の写真をあげた。いつもそれを大事にして見ていたという。

歳月が流れ、彼女がこの施設を出る時、職員さんが、彼女が私と「二人の写真を撮って欲しいと言うので」とデジカメを持って待っていてくれた。小さかった彼女は、もう私と変わらぬほどに背が高くなっていた。
現在は別の施設で生活しながら働いているが、毎年忘れずに年賀状が届く。勿論、私も出している。昨年も一昨年も、「一度遊びに来て下さい」と書かれていた。私は「今年はぜひ遊びに行くからね」と記した。彼女から貰ったお手紙や絵や折り紙などは、今も大事に持っている。

彼女に限らず、年賀状を見ながら、その人との想い出を懐かしみ、正月のしばしの「時」を過ごしたyoーサンだった。
これも「如来のおはからい」なのである。<称名>
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