日本の心

激動する時代の日本人に多大な影響を及ぼした人物の思索をたどる。

大川周明 「日本的言行」 第二 洋意の出離 一 「洋意を去れ」

2016-10-19 00:25:20 | 大川周明

                 大川周明 --ウィキペディア   

大川周明 日本的言行

第二 洋意の出離
 


一 「洋意を去れ」
 


 「漢心とは、漢国のふりを好み、かの国を貴ぶのみをいふにあらず、大方世の人の万の事の是非善悪を論ひ、物の理(ことわり)を言ふ類、すべてみな漢籍(からふみ)の趣きなるをいひなりさるば漢籍を読み人のみ然るにはらず、書といふもの一つ見たること無き者までも同じことなり。
 そも漢籍を読まぬ人は、さる心にはあるまじきわざなれども、何わざも漢籍を善として、彼を学ぶ世の習ひ千年にも余りぬれば、おのずからその意(こころ)世に行き渡りて、人の心の底に染みつきて、常の地となれる故に、我は漢意もたずと思ひ、これは漢意にあらう当然の理なりと思ふことも、なほ漢意を離れ難き習ひぞかし。
 そもそも人の心は皇国も外国も異なることなく、是非善悪に二つなれば別に漢意といふいこと有るべくもあらずと思ふは、一わたり然る事のやうなれば、此の意(こころ)は除こり難き者になんありける。人の心の何れの国も異なること無きは、本の真心にこそあれ、漢籍にいへる趣きは、みな彼の国こちたきさかしら心もて、偽り飾りたる事のみ多ければ、真心にあらず、彼が是とすること実の是にあらず、非とすること実のにあらざる類も多かれば是非善悪に二つ無しともいふべからず。
 また当然の理と思ひ取りたる意も、漢意の当然の理にこそあれ、実の当然の理にあらざること多し。大方これらの事、古き書の趣きを能く得て、漢意といふものを取り去れば、おのずからいとよく分かることを、おしなべて世の人の心の地、皆漢意なるが故にそれを離れて悟ることのいと難しきぞかし。」

 
 この本居宣長の言葉は、徳川時代の止度なき支那崇拝に対する痛烈な警告であります。徳川幕府は幾多の動機から熱心に儒教を奨励しました。そのために徳川時代に於いては、学者といへば漢学者、学問といへば漢学をいみするほど、儒者が盛んになったのであります。儒教が盛んになれば孔孟が崇拝されるのは言ふまでもない。而して之に伴いて総じて支那のものを尚ふ傾向を生むのもまたやむを得なき径路であります。

 かくて徳川時代の儒者のうちには、志那を中夏と崇拝し、吾国を東夷と卑下するものさえ少なくなかったのであります。太宰春台の如きは、孔孟の教えが伝えられるまで、日本人は禽獣の如き無道徳の生活を営んで居たとさえ極言S他野であります。


 かくの如き時代に於いて本井宣長が、漢意を去れと高唱したことは、非常なる卓見と言わねばなりません。漢意を去れとは、取りも直さず日本精神に復れといふことであります。宣長以前に於ても国学者荷田春海は

 ふみわけよ大和にあらぬ唐鳥の

   跡を見るのみ人の道かわ 

 と詠じて、荻生徂徠一派の支那崇拝を排撃し、加茂真淵もまた 太宰春台の妄論を憤激し、名高き『国意考』を著して日本古来の荘厳を力説し、中華至上主義を論難しました。而もこの古学機運を受けて、之を集大成したのが実に本井宣長であり、この思想を抱いて街頭に善戦し、日本精神の確立に心を砕いたのが平田篤胤であります。
 此等の偉人の排出によって、これまで学問と言えば漢学を異にして居たのが、皇国本来の思想文学を研究する学問が、科学又は国学の名に於いて初めて漢学と拮抗するやうになったのであります。


 さて今日の吾国には、最早徳川時代の如き志那思想崇拝が影を潜めてしまった。啻に影を潜めたるのみならず、志那の善なるものさえ無視して、之を侮蔑する傾向になって来ました。坤為地の日本は支那を去って欧米についたのであります。
 而して当時の儒者に劣らぬ多くの欧米崇拝者が、我国の思想界に時めいて居ります。吾等は本井宣長が、徳川時代の思想界に向かって「漢意を去れ」と警告せる如く、現代日本お思想界に向かって「洋意を去れ」と警告せんと欲する者であります。

 今日の日本人は、宣長の言葉そのものに、総じて西洋的に思索し処断せんとして居ります。欧米の書籍を読まぬ人すら、かくのごとき雰囲気の中に在るが故に、知らず識らず西洋的に思ひ且つ行わんとして居ります。まことに「おしなべて世の人の心の地、みな洋意なるが故に」之を離るることは至難の業となったのであります。

 

 

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