日本人の ”戦い”

激動する時代の日本に多大な影響を与えた人物の思索をたどる。

西郷隆盛 「南洲手抄言志録」 (その一)

2016-09-14 16:41:02 | 西郷隆盛

南洲手抄言志録

 

佐藤一齋・秋月種樹(古香)

 

山田濟齋訳

  

一 勿游惰以爲中寛裕上。勿下認嚴刻以爲中直諒。勿私欲以爲中志願

〔譯〕游惰(いうだ)を認(みと)めて以て寛裕(かんゆう)と爲すこと勿なかれ。嚴刻(げんこく)を認めて以て直諒(ちよくりやう)と爲すこと勿れ。私欲(しよく)を認めて以て志願(しぐわん)と爲すこと勿れ。

 

二 毀譽得喪、眞是人生之雲霧、使人昏迷。一掃此雲霧、則天青日白。

〔譯〕毀譽(きよ)得喪(とくさう)は、眞(しん)に是れ人生の雲霧(うんむ)、人をして昏迷(こんめい)せしむ。此の雲霧を一掃(さう)せば、則ち天(てん)青(あを)く日(ひ)白(しろ)し。

〔評〕徳川慶喜公は勤王の臣たり。幕吏(ばくり)の要する所となりて朝敵となる。猶南洲勤王の臣として終りを克(よ)くせざるごとし。公は罪を宥(ゆる)し位に敍(じよ)せらる、南洲は永く反賊(はんぞく)の名を蒙(かうむ)る、悲しいかな。(原漢文、下同)

 

三 唐虞之治、只是情一字。極而言之、萬物體、不外二於情之推

〔譯〕唐虞(たうぐ)の治(ち)は只是れ情の一字なり。極めて之を言へば、萬物一體も情の推(すゐ)に外ならず。

〔評〕南洲、官軍を帥ゐて京師を發す。婢(ひ)あり別れを惜みて伏水(ふしみ)に至る。兵士環(めぐ)つて之を視みる。南洲輿中より之を招き、其背を拊(う)つて曰ふ、好在(たつしや)なれと、金を懷中(くわいちゆう)より出して之に與へ、旁(かたは)ら人なき若し。
 兵士太(はなは)だ其の情を匿(かく)さざるに服す。幕府砲臺(はうだい)を神奈川に築きづき、外人の來り觀るを許さず、木戸公役徒(えきと)に雜り、自ら畚(ふご)を荷(にな)うて之を觀る。茶店の老嫗(らうをう)あり、公の常人に非ざるを知り、善く之を遇す。公志を得るに及んで、厚く之に報ゆ。皆情の推(すゐ)なり。

 

四 凡作事、須天之心。不有二示人之念

〔譯〕凡そ事を作(な)すには、須(すべか)らく天に事(つか)ふるの心あるを要(えう)すべし。人に示すの念(ねん)あるを要せず。

 

五 憤一字、是進學機關。舜何人也、予何人也、方是憤。

〔譯〕憤(ふん)の一字、是れ進學(しんがく)の機關(きくわん)なり。舜(しゆん)何人(なんぴと)ぞや、予(われ)何人ぞや、方(まさ)に是れ憤(ふん)。

 

六 著眼高、則見理不岐。

〔譯〕眼(がん)を著(つ)くること高ければ、則ち理(り)を見ること岐きせず。

〔評〕三條公は西三條、東久世諸公と長門に走る、之を七卿(きやう)脱走(だつさう)と謂ふ。幕府之を宰府(ざいふ)に竄(ざん)す。既にして七卿が勤王の士を募(つの)り國家を亂さんと欲するを憂へ、浪華(なには)に幽(いう)するの議ぎあり。南洲等力(つと)めて之を拒ぎ、事終に熄(や)む。南洲人に語(かた)つて曰ふ、七卿中他日關白(くわんぱく)に任ぜらるゝ者は、必三條公ならんと、果して然りき。

 

七 性同而質異。質異、教之所由設也。性同、教之所由立也。

〔譯〕性(せい)は同じうして而て質(しつ)は異(こと)なる。質異るは教(をしへ)の由つて設(まう)けらるゝ所なり。性同じきは教の由つて立つ所なり。

 

八 喪己斯喪人。喪人斯喪物。

〔譯〕己(おのれ)を喪(うしな)へば斯(こゝ)に人を喪(うしな)ふ。人を喪へば斯に物(もの)を喪ふ。

 

九 士貴獨立自信矣。依熱附炎之念、不起。

〔譯〕士(し)は獨立自信を貴(たふと)ぶ。熱に依(よ)り炎(えん)に附(つく)の念、起す可らず。

〔評〕慶應三年九月、山内容堂公は寺村左膳、後藤象次郎を以て使となし、書を幕府に呈す。曰ふ、中古以還(くわん)、政刑(せいけい)武門に出づ。洋人來航するに及んで、物議紛々(ふん/\)、東攻西撃して、内訌(ないこう)嘗て戢(をさま)る時なく、終に外國の輕侮を招に至る。此れ政令二途とに出で、天下耳目の屬する所を異にするが故なり。
 今や時勢一變(ぺん)して舊規(きうき)を墨守す可らず、宜しく政權(けん)を王室に還し、以て萬國竝立(へいり)つの基礎を建つべし。其れ則ち當今の急務にして、而て容堂の至願なり。幕(ばく)下の賢(けん)なる、必之を察するあらんと。他日幕府の政權を還かへせる、其事實に公の呈書(ていしよ)に本(もと)づけり。當時幕府既に衰(おとろ)へたりと雖、威權(ゐけん)未だ地に墜(お)ちず。公 抗論(かうろん)して忌(い)まず、獨立の見ありと謂ふべし。

 

一〇 有本然之眞己、有躯殼之假己。須自認得

〔譯〕本然(ほんぜん)の眞己(しんこ)有り、躯殼(くかく)の假己(かこ)有り。須らく自ら認みとめ得んことを要すべし。

〔評〕南洲胃(い)を病む。英醫偉利斯(いりす)之を診(しん)して、勞動(らうどう)を勸(すゝ)む。南洲是より山野に游獵(いうれふ)せり。人或は病なくして犬を牽(ひ)き兎を逐(お)ひ、自ら南洲を學ぶと謂ふ、疎(そ)なり。

 

一一 雲煙聚於不已。風雨洩二於不一レ得レ已。雷霆震二於不一レ得レ已。斯可三以觀二至誠之作用一。

〔譯〕雲煙(うんえん)は已(や)むことを得ざるに聚(あつま)る。風雨は已むことを得ざるに洩もる。雷霆(らいてい)は已むことを得ざるに震(ふる)ふ。斯(こゝ)に以て至誠(しせい)の作用さようを觀(み)る可し。

 

一二 動於不已之勢、則動而不レ括。履二於不レ可レ枉之途一、則履而不レ危。

〔譯〕已むことを得ざるの勢(いきほひ)に動(うご)けば、則ち動いて括(くわ)つせず。枉(ま)ぐ可らざるの途(みち)を履(ふ)めば、則ち履んで危(あやふ)からず。

〔評〕官軍江戸を伐(う)つ、關西諸侯兵を出して之に從ふ。是より先き尾藩(びはん)宗家(そうけ)を援(たす)けんと欲する者ありて、私(ひそか)に聲息(せいそく)を江戸に通(つう)ず。
 尾(び)公之を患(うれ)へ、田中不二麿、丹羽淳太郎等と議して、大義親(しん)を滅(ほろぼ)すの令を下す、實に已むことを得ざるの擧(きよ)に出づ。一藩の方向(はうかう)以て定れり。

 

一三 聖人如強健無病人。賢人如二攝生愼レ病人一。常人如二虚羸多レ病人一。

〔譯〕聖人は強健(きやうけん)病無き人の如し。賢人は攝生(せつしやう)病を愼(つゝし)む人の如し。常人は虚羸(きよるゐ)病多き人の如し。

 

一四 急迫敗事。寧耐成事。

〔譯〕急迫は事を敗やぶる。寧耐(ねいたい)は事を成なす。

〔評〕大坂城陷(おちい)る。徳川慶喜公火船に乘りて江戸に歸り、諸侯を召して罪を俟(ま)つの状を告ぐ。余時に江戸に在り、特に別廳べ(つちやう)に召めし告げて曰ふ。事此に至る、言ふ可きなし。
 汝將に京に入らんとすと聞きく、請ふ吾が爲めに恭順(きようじゆん)の意を致せと。余江戸を發して桑名に抵(いた)り、柳原前光(さきみつ)公軍を督(とく)して至るに遇ふ。余爲めに之を告ぐ。

京師に至るに及んで、松平春嶽(しゆんがく)公を見て又之を告ぐ。

 

 慶喜公江戸城に在り、衆皆之に逼(せま)り、死を以て城を守らんことを請ふ。公聽(き)かず、水戸に赴く、近臣二三十名從ふ。衆奉じて以て主と爲すべきものなく、或は散(さん)じて四方に之ゆき、或は上野に據よる。
 若し公をして耐忍(たいにん)の力無く、共に怒(いか)つて事を擧げしめば、則ち府下悉く焦土(せうど)と爲らん。假令(たとひ)都を遷すも、其の盛大を極(きは)むること今日の如きは實に難からん。
 然らば則ち公常人の忍(しの)ぶ能はざる所を忍ぶ、其功亦多し。舊(きう)藩士日高誠實(ひだかせいじつ)時に句あり云ふ。

「功烈(こうれつ)尤も多かりしは前内府(ぜんないふ)。至尊(しそん)直に鶴城(かくじやう)の中に在り」と。

 

一五 聖人安死。賢人分死。常人恐死。

〔譯〕聖人は死を安(やす)んず。賢人は死を分(ぶん)とす。常人は死を恐(おそ)る。

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