日本の心

激動する時代の日本人に多大な影響を及ぼした人物の思索をたどる。

大川周明 「日本的言行」 第一日本的言行 二 道そのものと道の説明  三 聖人の教と祖先の遺風

2016-10-16 20:05:06 | 大川周明

                                             大川周明 --ウィキペディア    


大川周明 「日本的言行」

 

第一 日本的言行 

 

二 道そのものと道の説明 

 太宰春台が日本に元来道なしと主張したのは、事実と説明と混同せるもの、一層詳かに言へば『道そのもの』と『道についての教』とを混同せる者であります。此点に関しては、平田篤胤が共著『入学問答』の劈頭に説くところ、実に其妄を論断して適切無比であります。彼は下の如く言ふ――『一体真の道と申すものは、実事の上に備わりあるものにて候を、世の学者はとかく教訓の書ならでは道は得られぬことのやうに心得居り候へども甚だの誤りに候。その故は実事があれば教えはいらず、道の実事無きが故に教は起こり候なり。されば教訓と申すものは実事より甚だ卑しきものに御座候。老子の書にも大道廃れて仁義ありと申候は、ここをよく見ぬき候語に候。』

 

 まことに篤胤の言の如く、春台が日本に道なかりしとせるは、道の説明なかりしを道そのものがなかりしと速断せるものに外ならぬ。われらの祖先は常に自ら『言挙げ』せぬことを誇りとし、いたずらに議論を多き支那人を『言さへぐ唐国人』として蔑しんで居た野であります。かかる祖先が、道徳に関する論議後世に遺さざりしを見て、直ちに道徳的意識なかりしかのの如く考えるには、驚くべき断見といわねばなりませぬ。

吾等の祖先が如何なる生活をして居たかを知るためには、祖先の言論に非ず其の行動を見なければならぬのであります。

 

 而してわれらの祖先の行動は、些かも包み隠すところなく、古事記・日本書記乃至万葉集等の古典に書き残されて居ります。われらはこれらの古典を通じて、われらの祖先の生活が、啻に春台の言の如き非道徳のものならざりしのみならず、実に雄渾荘厳なりし事を認めざるをえませぬ。吾等の祖先は、自ら『天の益人』と称へて、崇高なる自尊の念を抱いていたのであります。天の益人とは、天意を奉じ弥栄え行く民の意味で、取りもなおさず天意を地上に実現すべき使命を荷へる民の意味であります。天は即ち神であります。神はすなわち至高の理想であります。

 而して至高の理想の具現者は皇祖皇宗であり、天皇は即ち皇祖皇宗の延長に亘らせられる。故に天意を奉ずるということは、天皇の大御心を奉ずることに他ならないのであります。かくて天皇の大御心を奉ずる日本国民が、一人でも多くなれば夫れだけ至高の理想が地上に実現されて往くというのが、実に吾等の祖先の自覚であり自信であった。

 之を今日の吾が同胞が欧米の人口論に魂を奪われ、人口過剰などと唱へて日本民族の繁殖を却って持余して居るのに比ぶれば、その意気の差は、天地雲泥の如きものありと言わねばなりません。

 吾等の祖先は晴れたる空の如き朗かなる心を以て生活し、常に『清き明るい心』を有たんとし、常に『天晴れ』の気持ちを失うまいと努めて居ました。これを公明にして 雄大なる理想を奉ずる者ののみが能くすることであります。

彼等の祖先は是くの如き理想と自信とを以て日本国の建設と契約に従ったのであります。

 而して此の態度と精神とは、戦争の場合において最も顕著に現れております。彼らの戦争は実に『まつろわぬ』ものを『まつろわす』ために他ならなかった。まつろふとは祭り合ふこと、即ち同一の神を崇拝すること、従って同一理想を奉ずることであます。彼はかつて私利と貪欲の心を以て戦はなかった。彼らはその誇りとする細戈(くわしほこ)――精鋭なる武器を執って起こったのは、実に同一理想を奉ぜざるものをして、彼の理想は奉ぜしむるためであったのであります。それ故に如何なる敵といへども、一度びまつろひさへすれば、悉く吾が同胞となり、相携えて至高の理想を実現するために精進することができたのであります。かくてこそ吾等の祖先は、天壌と共に弥栄え行く国家を建設し得たのだ。

 

 是くの如き国家を建設せる其事が、何よりも雄弁に祖先の荘厳なる生活を物語る者であります。そは『道といふこと無かりし』民の決して能くする所ではありませぬ。さらば吾等をして再び本井宣長の言を引かしめよ。

 『皇国の古は、さるこちたき教も何も無かりしかど、下が下まで乱るることなく、天が下は穏かに治まりて、天つ日嗣いや永遠に伝わり来ませり。さればかの異国の名に習ひて言わば、これぞ上も無き優れた大道にて、実は道あるが故に道てふ言なく、道てふ言はなけれども道はありしなり。そを事々しく言ひ挙ぐると然からぬとのけじめを思へ。

言挙げせずとは、異国の如くこちたく言い立つることを云ふなり。例えば才も何も優れた人は言い立てぬを、なまなまのわろ者ぞ、反りていささかの事をも事々しく言ひ挙げつつ誇るめる如く、漢国などは道乏しきが故に、かへりて道々しきことをのみ言ひ合へるなり』


 

第一 日本的言行 

三 聖人の教と祖先の遺風 

 

 東西の歴史が明瞭に示す如く、一教一派の祖師は常に混沌乱離の世に出現しています。老子が道波はせるが如く、仁の教は大道の廃れたる時に興り、宣長は指摘するごとく、道なきところに却って道々しき言挙げが行われるものであります。孔子も釈尊も基督も、みな乱世か亡国か、然ら袁世に生まれて居ります。

 

彼らは道なき世に生まれ、人々が道行はざりし時に、之を正しき道に復帰せんと努めた偉人であります。それゆえに彼等は、謂はば魂の医者であり教は病める魂の薬であります。そは薬であるが故に決して糧食ではない。基督は、右の頬を打たれたら左の頬をも、せと言ひ、上衣をとられたら下衣を与へよと教えて居ります。 

 

住む当時の猶太人が、それほど激烈に戒めなければ尋常の人間に立ち帰らぬほど、貪欲苛酷になって居たからであります。釈尊の説くところは厳格であり、実に婚をさえも成道の妨げとして居ります。それほどまでに戒めなければならなかったのは、当時のインド人が性欲的に激しく放肆であったからであります。孔子の教は両者に比べてはるかに穏当ではあるけれど、尚且礼儀三千威儀三百といて居ります。それは春秋戦国の乱離に滅び去らんとせる周代文化を、如何にして護持せんと苦心せるが故にほかなりませぬ。

 かくて此等の教は、吾等の精神のための薬であり、われらの魂の病はこれによって癒されるるが故に、固より謝恩の心を抱いてこれに対さねばなりません。さりながら吾等は、此れを以て日々の糧と思ひ違えてはならぬ。此等の教訓は決して一々守らるべきものではない。若し強いて守らうとすれば、現地の生活の間に矛盾杅格を来たし、必然に無理を生じて偽善に陥ります。吾等は幾多の例証を、牧師や僧侶の生活に於いて見て居ります。

 されば吾等の生命の糧は、決して証人の教えに非ず、実に祖先の遺風であります。祖先の遺風を守ることが、取りも直さず健全なる日本国民の生活であります。吾等の古典は、教を説かずして遺風を伝えて居る点に於て、吾々の生命の糧として無比の宝であります。孔子が一巻の教訓をも遺さず、ただ唯春秋を著せるせることを思へば、孔子の本旨もまた恐らく祖先の遺風を伝えんとするに在ったのであろうと思います。

 さればこそ『吾が志春秋に在り』と言ひ、また『我を知る者はそれた“春秋か、我を罪する者はそれただ春秋か』と言って居るのであります。然るに志那に於いては、孔子の此の真意が充分に会得せられず、却って其の『教訓』のみが持囃されて来たのであります。

 

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