鍼たま抜粋記

表参道・青山にある鍼灸院が発信するブログ『鍼たま』の中から、東洋医学・鍼灸に関連することを抜粋したブログです。

医食同源と薬食同源

2011-10-10 01:00:50 | 東洋学・鍼灸について

 “医食同源”という言葉の他に、“薬食同源”という言葉があるのをご存知でしょうか?

 唐の時代に孫思ばく(そんしばく)という医家がおりました。孫思ばくは“孫真人”という尊称を受け、“医聖”と呼ばれる張仲景と並ぶ偉大な医家として古来より尊ばれています。

 そんな孫思ばくが、著書の中で次のようなことを述べています。
「医というものは、まずはじめに病源を明らかにするべきであり、その病が犯すところを知り、食をもってこれを治す。食療(食事による治療)でその病を癒すことができなければ、しかる後に薬を命ずる。」

 下線に示したように、まず「食事で治す」ということを孫思ばくが語っていますが、そのことを“食療”と言っております。食事で治す“食療”という言葉の発想から考えますと、食事はまさに薬と同価値のものだという位置づけだと思います。このことから、“薬食同源”という言葉も生まれてきました。

 我々はとかく身体の不調があると、すぐに薬に頼ったりすることがあります。身体の状況と病気の状況を見ながら薬を使用することは、大切なことです。しかし、孫思ばくが述べているように、薬を使う前に、しっかりと自分の身体を養っている“食事”というものを見直すことは、もっと大切なことのように思います。毎日摂る食事が私たちの身体を作っているのですから、食事を大切にすることは、薬を飲むほど悪くなる前にできる基本中の基本です。

 生きている限り、身体に栄養を補給していくのが生命です。食事というものを見直し、より健康に過ごせたらと思います。


蚊や虻のように

2011-04-26 23:16:44 | 東洋学・鍼灸について

鍼灸医療・東洋医学の原典である『黄帝内経・霊枢』の最初に、鍼の種類や、鍼の刺し方を記した「九鍼十二原」という章があります。鍼の種類はざん鍼、員鍼、てい鍼など、大鍼まで9種類出てきますが、この中に出てくる毫鍼というものが、現在我々が一般的に鍼灸施術で使っている鍼のことです。 

 この「九鍼十二原」の項で、鍼の刺し方を読んでみますと、以下のように書いてあります。

「如蚊虻止」
(読み:ぶんぼうのとまるがごとく)
(訳:蚊や虻が止まるように)

 この記述によりますと、鍼灸施術で使う鍼は、“蚊や虻が止まるように、刺されたかどうか分からないように”打つものであることが分かります。つまり、鍼は決して痛いものではないのです。この原典がまとめられた時代は、今から2000年前です。その時代から鍼は痛くないというのが普通だったと思われます。

 鍼は痛いのが効くのではありません。痛くないように刺すのが施術者の腕の見せ所でもあります。この原典の一文を読むと、毎回毎回技術の研鑽に励まなくてはと初心にかえります。


四季、一日、ライフサイクルと身体の変化

2011-03-20 21:47:53 | 東洋学・鍼灸について

 季節の巡りと身体の関係をまとめますと、以下のようになります。

春   - 生(発生すること)  - 芽が出ること。
夏   - 長(繁茂すること)  - 葉っぱを広げて伸びていくこと。
土用 - 化(各季節を完成) - その季節を完成し次に受け渡す。
秋   - 収(収斂すること)  - 葉っぱを落とすこと。
冬   - 蔵(蓄えておくこと) - 種の状態。

 この春・夏・土用(もしくは長夏)・秋・冬には、成・長・化・収・蔵という季節の働きがそれぞれあります。この時間の単位は全体で一年です。これを一日のサイクルに当てはめてみますと、朝・昼・夕方・夜ということに、それぞれやはり朝目を覚まして、昼は活発に活動し、夕方から夜にかけては休息する、という四季と同じようにサイクルを割り当てることが出来ます。
 さらにこれを人間の一生に置き換えてみますと、幼児期・青年期・円熟期・老年期と配当するができます。幼児期には知能を発達させ、身体を作る季節、そして青年期はその資質を思いっきり伸ばしていく、そして円熟期からは後進の指導など、次の世代へ引き継ぐことが大切となります。
 このように、東洋医学・東洋思想で考えているこの季節の巡りというものは、一日、一生というサイクルにも当てはめることが出来ます。この季節の巡りをもう一度見直してみますと、一日の過ごし方も理解できてきますし、一生を通してのライフサイクルも見えてくるものがあるのではないでしょうか。表参道・青山・源保堂鍼灸院には、赤ちゃんからおじいさん、おばあさんまで幅広い年齢がいらっしゃいます。この陽に幅広い年齢の患者様と接していますと、人間の一生というライフサイクルについて思うことが多々あります。
 こういったところでも、東洋の知恵が活きていることを実感しています。


「病」という字

2011-02-23 15:23:35 | 東洋学・鍼灸について
「健康」の反対語に、「病気」という言葉があります。
この「病気」は、「気ヲ病ム」または「病ンデイル気」と漢文読みをすることができます。
それでは、「病ム」、「病ンデイル」状態とは一体どのようなことなのか?この「病」という字を紐解いてみたいと思います。
「病」の字の中には「丙」という字があります。この「丙」という字は、甲・乙・丙・丁・戊・・・・と続く十干(じゅっかん)の「丙」のことで、これは日本語で「ひのえ」と読みます。 十干の説明をすると長くなりますので、今日はこの「丙」にのみ絞って書きますが、この「ひのえ(丙)」は、「火の兄(陽)」となります。
東洋思想では万物を木・火・土・金・水という五行に分類するのですが、そのうちの火に配当される十干が「丙」と「丁」です。「丁(ひのと)」は「火の弟(陰)」であり、「丙」は、「火の(陽)」です。「丙」「丁」とも同じ火に配当されますが、「丁」はろうそくの灯りのような火を指し、「丙」は太陽のような明るい火を指しています。五行の中で火は陽の性質を現しますが、「丙」はその火の中でもさらに陽の性格を持っているので、五行の中でも最も明るい性質を持っています。
つまり、「丙」というのは太陽のような明るい火ですから、“壮んな様子”“輝く様子”を現す漢字です。
そしてその「丙」にかかる部首は「やまいだれ」です。この「やまいだれ」は、“寝台に人が病気や苦痛で伏せている”状態を現す部首です。
以上のことから、「病」という字は、「“壮んな状態・健康な状態”が“苦痛で伏せてしまっている”様子」を表現しています。 病気になると、元気な壮んな様子は影を潜めてしまいます。そのような状態をこの「病」という漢字は端的に示しています。
この「丙」が現す明るさとは、公明正大さや、周りを明るくするような雰囲気も表しますので、単に肉体的な壮んさだけではなく、心や精神状態の明るさも含まれると思います。
今一度この「病」という字を紐解いてみると、対極の「健康」な状態も見えてくるように思います。
健康とは、肉体だけではなく、気持も明るい状態を指します。身体だけでなく、精神的な健康も含めて、この「丙」の意味する状態を維持していきたいものだと思います。

本治法と標治法

2011-02-14 17:05:51 | 東洋学・鍼灸について
私は普段の鍼灸治療で、本治法(ほんちほう)と呼ばれる治療法を主体にして治療をしています。これは、東洋医学の病因・病症学、臓腑学説、陰陽論などを駆使しながら、患者様の五臓六腑の調整をして、全体の治療を施していくものです。東洋医学と一言で言いましても、その中には身体を診断するための体系がいくつもあり、本治法を患者様に施すためには、それらの体系を同時平行に学んでいかないといけません。
その一方で標治法(ひょうちほう)というものがありますが、これはいわゆるツボ療法で、「○○病にはこのツボ」、痛いところや患部に直接鍼をする、というものです。巷で見られる東洋医学の本などはほとんどこの部類に入ります。鍼灸師の方でもこれらのツボを、たとえば「生理痛には三陰交」などと金科玉条のごとく重宝に使用している方も多いでしょう。鍼灸師になりたての時は、こういった知識は臨床ですぐに使えるので便利ではありますが、すぐに治療の壁が立ちはだかります。
普段私は本治法をしますので、後者の標治法で使われるツボはほとんど使いません。その理由は、症状を追っかけて、それにあわせて特効穴ばかり追っかけてしまいますと、木を見て森を見ずということになり、東洋医学の本来の姿である「身体を全体として見つめる」という視点を失ってしまうからです。
しかしながら、特効穴を勉強していないかと言うとそうでもありません。それはそれで知識として頭に入れてあります。それは、特効穴には、特効穴が特攻穴足りうる東洋医学的身体観の中での理由が必ずあるからで、その背景を考察することは、本治法の考察にも役立つからです。