富山マネジメント・アカデミー

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多言語の能力を高める必要性

2016年11月17日 | Weblog

TMA講師代表の個人研究:恥ずかしいレベルだが、僕は漢語と英語の文章はなんとか読める。作文もネイティブの方の校正は必要であるが、漢語12編、英語2編を活字にしてきた。この漢語の論文のうち、日本語から漢語に自分で訳したのではなく、原稿そのものが漢語であるのが5編ほどある。日本の歴史家の論文は、「史学雑誌」の5月号の前年の回顧と展望に掲載されるから、日本語に限り重要論文は専門家の目に留まる。だが、国際化の発達した時代には、オリジナル論文が外国語で書かれ、日本語には翻訳されない文献がかなりある。これが、人文社会科学の世界の話である。しかし、自然科学系では英語が標準言語なので、日本人でも学術論文は全て英語で書かれる。日本語は、エッセイ、解説にしか使われない。自然科学系が正常であり、人文科学系が異常である。日本の大学の文系は、この異常を再生しつづけている。

これから大学への進学を考えられるならば、自然科学系で英語標準の学問分野でないと存在すら認められない。もし人文科学系を選んでも、主な論文が英語か、漢語か、その他、国連公用語の教授、あるいは対象となる研究が朝鮮語の地域なら、朝鮮語の研究誌に掲載されていることとが望ましい。いずれにせよ、コンピューター検索で90%の情報が集められるので、高校教員の方は、大学教員の専門性を厳しくチェックし、進路指導に役立てて欲しい。大学では、ゼミ制度が発達しているので、2年間は特定教授から直接に指導をうける機会がある。これは、人生の分かれめになる。なお、専門学校では習った知識は10以内に陳腐化する。ゼミの指導教授からの情報提供は、退職後も可能である。

大学が教授会が全てを仕切る日本では、人文社会科学の知のグローバル化、国際標準化が進まない。もし、富山大学は勇気ある改革をするならば、経済学部、人文学部の卒業論文は、英語、漢語、朝鮮語、ロシア語とする思い切った改革をするべきである。死ぬかと思うくらい教育負担は増す。そうすれば、金沢大学を10年で抜ける。しかし、現実はますます逆行している。大学の地域貢献は、大学のもつ知識が国際水準であることで保障される。しかも、企業が既に国際化しているから、余程の知的情報でない限り、企業の先を行くのは難しい。企業もすでに多言語能力を高めている。

富山大学は、非改革の部分の廃棄人材を集め、共通教育の部局を創る過去の誤りを2度繰り返してはならない。廃棄人材が新入生の教育をするから、5月には大学への失望感が高まる。それよりも、4年一貫の教育である。日本の大学における教養部の廃止を最先端で進めた経験からいう。決して、医学部、薬学部、芸術文化学部は、五福地区の廃棄人材を集めた共通教養部に新入生を預けてはならない。それと、英語唯一主義では、富山大学にか勝ち目がない。漢語、朝鮮語、ロシア語は、国策として富山大学に課している特色であるから。極東学部を開設できる可能性は高い。その場合、ラジオ、新聞で北朝鮮、極東ロシア、中国東北の地域を広域で傍受し、解析する産業情報を機能させることだ。すでにアメリカ軍と連携した防衛機関はあるが、日本の自動車産業を主体とする産業情報を的確に把握することである。

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