富山マネジメント・アカデミー

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哀しい地方新聞の利用のされかた。

2017年06月17日 | Weblog

TMA講師の個人見解:

高齢者は、地方紙の共有の利用法が、2つあるという。「おくやみ」情報である。もう一つは、スーパーのチラシである。「おくやみ」情報のおかげで、僕は一度、死んでいます。同性同名のため、妻の知人から、おくやみの電話がかかってきた。逆にいえば、まだ、生きていますという情報にもなるが、哀しいのは、この欄に掲載される日が近づいてくる、という高齢者の心の揺れである。

スーパーのチラシは、さらに哀しい。家内は、クルマの運転の免許を更新し、さらに、チラシ研究に熱がこもる。我が家は、幸いなことにスーパーの競合地域である。選択肢は、広範囲にある。これが、買い物難民といわれる地区だと、スーパーのチラシは1店舗からの情報しかない。

でも、もっと哀しいのは、新聞の本紙が力を入れている記事には、女性は余り興味がないらしい。地域のこまごましたイベント情報など、まるで興味が湧かないらしい。狭い蟻の視界には、隣町の蟻の視界には全く関心がない。そういう情報には、主婦は反応しない。基層社会では、地区と地区の関係には、差別化と障壁化が生まれる。読まれない情報が満載され、カラー写真が互いに印象を潰しあう紙面は、親しまれない。

家内たち家族の行動を見ていると、TVに登場する人については、地区の隣人よりも詳しい個人情報を共有している。知らず知らず、クイズ番組に参加している。仮想の隣人が近く、実在の隣人は顔だけは知ってるが、その個性は知らない。

 

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