富山マネジメント・アカデミー

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私欲、私心をもたない贅沢は、高齢者の特権(校正済)

2017年05月17日 | Weblog

TMA講師代表:私欲、私心をもたないと、子育て家族は、自分の子供たちを悲惨な目においやる。また、40歳を境に、70歳以後の準備のため、私欲、私心は欠かせない。逆に、70歳からは、世間に恩返しのできる世代である。遺産を自分の血筋にしか残せないひとは、他人に語り継がれることはない。富山の場合、馬場はるさんは、旧制の富山高校を寄付した。それは、馬場家の船舶輸送をになう海運業を廃業し、その財産で次世代の富山人の育成に賭けたからである。私は、この馬場さんの寄付行為は、尊崇するが、絶賛はしない。なぜなら、企業こそ人材育成の真の学校であるからだ。富山は、いまもって輸送業、貿易業の面での後進地である。馬場家の廃業が、今に影響している。他方、旧制の富山高校から富山大学に継承された知識人材は、実は、富山の人々の根源的な福祉の原資には寄与していない。いまさら左翼の温床となっていたからだ。中国は、マルクスから儒学へ回帰している。アダム・スミスをよめば、スミスが孔子の思考を発展させたことが分かる。旧制富山高校には、そこが見えなかった。英文学者の要請、マルクス経済学の普及という善悪が混じった世界に落ち込んだ。

新制・富山大学の長所は、富山の薬業界の要請、高岡の旧制の高等商業学校、そして、高岡に誕生した工学部にある。馬場さんの善意は、結果として、富山の人々の根源的な福祉の原資の形成にはマイナスに作用した。無論、プラスに作用した時期もある。それは、農地改革である。また、浄土真宗の地域基盤に社会科学的な道筋を与えた。しかし、富山の人々の根源的な福祉の原資とは、諸産業のロジスティクス・マネジメントの知的、実証的な「知財資本」である。旧制の富山高校は、東京大学文学部との知縁が深すぎた。

戦後の富山大学は、優れた高岡人が、地域経済を主体とするマネジメントの思想と技法で経営するべきだった。YKKは、創業期、吉田金属工業という社名の時代に、高岡の銅の産業家たちの我慢づよい支援を受けている。高岡人は、高岡という町への愛のため、高岡という立地にこだわるが、実は、活かしようでは、高岡人が富山全体を導く筋があってもよいのに、なぜか高岡愛という「私欲、私心」に負けてしまう。なお、高齢者となり、私心、私欲が濃厚な方は、なぜ仏教という大事な文化があるか、よく考えてみるべきだ。棺桶の蓋が閉じられたとき、惜しまれるか、内心、とても喜ばれるか、その違いだと、仏教も、儒教もそれを警告している。ただ、浄土真宗は優しい。悪人にも、成仏の道を許しているからだ。でも、悪人だって、70過ぎれば善人になれるという奨励は否定されていない。

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