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富山県の「県」が終わる日?!(修正)

2017年05月12日 | Weblog

TMA講師代表:個人研究 富山県は、1883年に大石川県から分離独立した。それでも、明治維新による東京の繁栄が起こり、富山からの人口流出はおさまらないで、富山県は明治期には人口減となった。大正元年、1812年に、北陸線が全線開通し、富山から東京がより近くなった。水力発電の事業の進展により、電力を活用する重化学工業の産業誘致が成功した。その結果、人口の流入が始まり、1930年代には、富山市の人口が、高岡市の2倍となった。富山県は、sの領域の内部で自立した都市の階層構造をもつようになった。戦災で、富山市は大空襲を経験したが、これが再生と復興の大きな起点となった。

富山県は、昭和期にIT革命の進行とともに、ITのハードは石川県に、ソフトは富山県において、全国的にも優秀な産業拠点となった。しかし、他方で、重化学工業の雇用吸収力は衰えた。富山県が石川県に優位性を保てるのは、今や製薬業だけである。約1兆円の売り上げに達した。YKKさんが、5700億円台であるから、この数年で、富山の薬業界は、YKK一社の総売り上げを集団でようやく追い越すことができたわけである。しかしながら、若者の人口の吸引力としては、製薬業界も省力化が進んでいるから、労働人口の流入、吸収のペースは遅い。逆に、若者の流出の速度は速い。流入は、自然増ではなく、学業や転勤による目的意識のある人の流入である。偏差値50以上が10人流入し、偏差値45以下が10人流出しても、一般的には問題がないが、子供を産む力は、男子の貢献度は低く、女子力に頼ることになる。

反対に、石川県における高等教育機関が全国から集める学生の流入は、富山県のそれをはるかに凌いでいる。国立大学に限れば、総定員では大差はない。大きく水を空けられているのは、私立大学である。その原因は、富山の私学界の努力不足につきる。これを補てんするには、東京の有名私学の富山キャンパスへの誘致であるが、果たして富山キャンパスという立地に吸引力があるのか?魚津の洗足学園の事例がある。有名教授を看板にするという発想は、すでに古い。残されたのは、「薬都トヤマ」にふさわしい高等教育機関の集中と、薬都に繋がる産業集積を支える実学的な先導力である。とはいえ、この世界では、すでに勝敗は決している。

「関ケ原の戦い」以来、越中が全国覇権にむけての再挑戦の機会はない。富山県の西部は、すでに石川県の富山郡になっている。北陸銀行、北陸電力は、三県体制であるから、石川県庁に統合されるとしたら、富山県庁だけである。富山市も、黒部市も、高岡市など、基層の自治体は解体されない。富山県の独自事業である空港、富山新港、そして富山県立大学の経営を誤れば、金沢という魅惑の都市の上位機構に、富山地域が管理される日は近づいている。それが、2020年から2050年まで分岐点で決まる。個人としては、負け組と予想される富山県に加担して頑張っているわけである。勝ち目は残されている。それは、女子力の差にある。

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