富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

高岡人は、伝書鳩のような衆議院議員を選ばれたの?

2017年10月23日 | Weblog

富山の衆議院の議員には、国からの補助金をいくら選挙区に持ち帰るのか、その伝書鳩の効果だけが期待されている。これは、選挙民の大間違いである。「伝書鳩」議員を卒業させないと、富山県にビッグ・プレゼントを持ち帰る大政治家は生まれない。正力さん、松村さん、その後は「伝書鳩」議員である。住さんですら、大型の伝書鳩であった。国政の最頂点で、国家を代表する政治家を育成できない県民性と、甲子園の野球、全国駅伝など、勝率最下位の伝統は、負け癖がつきすぎている。

高岡人は、富山のなかでは、お高くとまっている、といわれる。ならば、国際・全日本の政策研究の最先端研究のために、高岡法科大を活かす道もあるのに、地元の資産も、高岡人の内部差別で育てきれていない。まして、議員の本業であるロジスティクス関係の研究団体も行っていない。高岡から選出される衆議院議員の母体には、現代ロジスティクス関係の政策理論研究集団が存在しない。だから、伝書鳩と酷評される。

幸い福祉関係では、田畑議員には、富山市民の実践的な政策理論の研究集団が出来上がっている。富山型という福祉では、理論も実践も全国トップクラスである。国の制度や、行政の指導の内容に対し、有効な提言を行う力がある。

高岡人は、個々の企業の産業ロジスティクス関係の緻密な情報を集め、さらに、中国の一帯一路の政策をいかに利用するか緻密に調査することである。新幹線は、人流であり、物流ではない。加越能の物流の中核として、小矢部川の流域全体の役割を再構築するとである。Tさん、もう「鳩ポッポ顔」を卒業する年頃ではないか?


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平和すぎる日本の総選挙

2017年10月23日 | Weblog

世界史の眼で見て、日本の総選挙は、100点満点に近い。見事なバランス感覚である。しかも、外国人を排斥する主張が皆無に近かったからである。外国人の労働者を排斥する「民族主義右翼」政治家が台頭しなかった。これは、現代世界でも稀有な現象である。極右の勢力も、国政レベルでは、排他的な民族主義を主張しなかった。

地球上のどの民族集団にも、どのような民族宗教にも、寛容な立場が貫かれた。なぜ、小池さんの「排除」という言葉を、日本国民が排斥したのか?それは、日本国民が「共助」しか、地球上で日本民族の将来像を描けないことを生存本能として嗅ぎ分けているからである。「和を以て貴し」となす聖徳太子の憲法は、厳然と今の日本国憲法の第9条の基本的な精神として生きているからである。その意味で、第9条の基本的な精神を国民投票で歴史的に確認するとともに、日本国民の「和を以て貴し」となす精神を外部から破壊する勢力に対する国防の必要も同時に、第9条と現実直視との整合性を果たしていかねばならない。

中国は、中国式に立派に改革している。少なくとも、麻薬の撲滅、地球環境の改善など、中国と「共助」できる。中国は中国で、西欧式の民主主義を棄てなければならない理由がある。性悪の人間が、共産党の内部に潜んでいる社会である。それに対し、ほぼ性善説で括れる「平和すぎる日本」は、西欧の理想の民主主義の旗を掲げられる。中国共産党による平和は、「方便」である。「強言」である。それを知ったうえで、中国を礼賛するのが、「礼儀」である。中国には、「礼節」を求め、「民主」を求めてはならない。お好きにどうぞ。その中国が嫌で、日本の社会の一員として「共助」できる中国人の方とは、より深い「共助」が必要である。それは、必ずしも、外国人参政権の問題ではない。「和を以て貴し」となす聖徳太子の憲法が、大陸からの渡来人が持ち込んだ文化であるからだ。

 


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