稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

『ヨイトマケの唄』その夢と現実

2018年02月18日 | 日々
 BSで「ヨイトマケの唄 その愛と秘密」が放送された。

 ぼくも学生時代にこのシングル盤を買い求め、何度も聴いたことがあった。

 久しぶりに聴くと、またまた目頭が熱くなってくる。

 この唄は「ヨイトマケ」の母に育てられた子がエンジニアとして立派に身を
立てる、いわば小さな成功物語を歌っている。

 赤貧の中から道を踏み外さず、がんばりぬいて母に報いたという主人公の誇
らしさ、亡き母の喜ぶ顔が浮かんでくるようだ。

     
       ( 資料映像 NHK 同番組から )

 作り手 美輪明弘は必ずしも特定のモデルをもっていたわけではなく、自分
の半生の中で出会ったいく人かの体験を合成して作ったそうだ。

 ただ、ぼくにはこの物語、現実にはそう簡単ではないと思われてならない。

 とはいえこの唄、美輪が出会った知人の実際の成功体験をもとにしているこ
とを思えば、難関ではあっても、その道が閉ざされているわけではないことを
物語っているとも言える。

 その限りでこの唄はやはり夢を語っているのかもしれない。

     

 思い出すのはぼくが串本小学校に通っていたころの話。

 ある日、上野君(仮称)という男の子が転校してきた。

 粗末なというより、いかにも汚い服を着ていた。
 ぼくらのクラスでは誰も近づかなかったように思う。

 数日後、上野君は学校に来なくなった。

 それからしばらくして、ぼくらが学年で串本漁協の社会見学へ行った日のこと。

 漁協ではたくさんの人が働いていた。

 そこへ沖合から小さな漁船が戻ってきた。

 岸壁に漁船を係留するらしく、乗り組んだ子どもが両手にロープを準備していた。

 ぼくらは「アッ」と驚いた。

 その子がなんと上野君だったからだ!

 漁船には、もう一人乗っていた。 
 おじいさんとでも呼ぶべき年輩の人だった。

「先生、あれ、上野君や」
 ぼくらは先生にそう言った。

 先生は「うん」と言ったきり何も言わなかった。

 上野君の姿を見たのはそれが最後だった。

 今から思えば、転校してきたとき、みんなで声をかけてやればよかった 

 上野君、複雑な事情があったのだろうが、彼はあれからどんな道をたどった
ろう・・・。

 「ヨイトマケの唄」を久しぶりに聴いて、そんな昔のことを思い出してしまった。 
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2 コメント

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衝撃 (Wander)
2018-02-21 20:43:50
神田さん、こんばんは

「とーちゃんのためならエンヤコラ」・・・子供の頃、意味もよく知らず
口ずさんだことがあるように思います。

大人になってから歌詞の全てを知り大きな衝撃を
受けました。

この歌に耳を傾けると、自分の甘さを思い知らされます。
時代の違い (神田)
2018-02-22 18:18:32
 Wanderさん、こんばんは。
 パソコンの調子が悪く、返事が遅れてしまいました。

 「ヨイトマケ」それ自体は時代の産物でもあると思います。

 美輪さんが紅白で歌って感動を呼んだらしいけど、若い人に具体的なイメージをもってもらうのはむずかしいでしょうね。

 ぼくは子どもの頃、ヨイトマケの現場を見たことがあり、イメージは鮮明です。

 ただ、「知らない」ことは誰にでもあり、やむをえないことだと思います。
 思えば、ぼくらも子どものころ、朝鮮人、中国人、アフリカ・・・何も知らぬままに大人たちをまねていたのだとぼく自身、恥ずかしく、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 ぼくらはそこから再出発すればいいのではと感じています。

 いいコメントをいただき、ありがとうございます。

 ではまた。

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