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グラインダーの神様

 524番船。いや、進水式も済んで命名も終わっているから、早龍丸と呼ぶべきか。その早龍丸も、あと二週間後には引き渡しだ。艤装工事もあらかた終わり、納品が遅れていた電装品の取り付けと、機関室の一部の塗装が残っているだけだ。
 僕にとっては思い入れのある船だ。この造船会社に入社して、初めて僕がメインになって設計した船だ。それまで、設計補助ばかりだった。マストの一部とか、船底のバラストタンクだけとか。
 早龍丸は船のデザインから、メインエンジンの選定、ペラの形状、マストの高さ、といった船そのものの設計を僕がやった。もちろん、図面のチェックは設計部長にやってもらったが、この船は僕の仕事だ。
 会社の正門に着いた。正門をくぐってタイムカードを押す。今日は設計者として最終的なチェックを行う予定だ。大幅な手直しがない限り、予定通り早龍丸は、二週間後に船主に引き渡される。
 なにか社内が騒がしい。騒然としている。何か重大な事故が起きたか。無災害記録を一年以上続けているのに。
 横を営業部長が青い顔をして走っていく。「部長。どうしたんです」
「えらいこっちゃ」
「事故ですか」
「見ればわかる。桟橋へ行け」
 艤装工事用の桟橋に行った。そこには早龍丸が係留されているはずだ。
 早龍丸は、確かに昨日と同じく、桟橋に係留されていた。ただし、昨日とは似ても似つかぬ姿になっていた。
 電柱が突き刺さっていた。500トンの汎用作業船のマストの根元に、コンクリート製の電柱が突き刺さっていた。太さ30センチ長さ10メートルほどの電柱だ。かなり大きな電柱といえる。ブリッジのある上部構造を貫き機関室にまで達しているかも知れない。だとするとエンジンも無事ではあるまい。
「こんな電柱どっから飛んできたのですか」
 隣で呆然とたっている工場長に聞いた。
「判からん。えらい損害や」
 ここは造船所だから、もちろん海の際である。山までは遠い。近くに高台もない。電柱はそんな所から落ちてきた物ではない。天から落ちてきたとしか思えない。
 だったら宇宙ロケットか。いいや。これはどう見てもコンクリート製の電柱だ。軽くティーパーがついていて、太い方には作業員が上るための鉄製の足置きまでついている。
「工場長」
 早龍丸の船内を見てきた作業員が戻ってきた。
「どうだった」
「エンジンはダメです。完全に破壊されています。船底を突き抜けて、先は海底にとどいています」
「ともかく電柱を抜こう」
「浸水しますよ」
「あそこの深度は」
「3メートル」
「早龍丸の喫水は」
 工場長が僕に聞いた。
「6メートルです」
「だったら着床するな」
「機関室が水浸しになります」
「エンジンは修復可能か」
「無理です」
「だったらいっしょだ。抜こう」
 70トンのジブクレーンが桟橋の根元まで移動してきた。玉掛け作業員が2人安全帯を装着して、電柱の先端に上った。幸い鉄製の足置きは上の方にある。電柱は先端を下にして船の突き刺さっている。
 玉掛けワイヤーが下がってきた。ワイヤーの先端のハッカーを足置きにひっかけて固定する。
「よし」
 玉掛け作業員が頭の上で手をグルグル回す。巻き上げの合図だ。ワイヤーがゆっくり巻き上がって行く。電柱が引っ張られて、だんだんと抜けて行く。
「ようし、待避」
 工場長が指示した。玉掛け作業員2人が電柱から離れた。
 電柱が完全に引き抜かれた。クレーンのジブの先から、ぶらんとぶら下がる。

「舳先と艫は無事です。マストも無事。船体中央の上部構造と船底、ようは船の中ほどの船殻は全部作り直しということです」
 対策会議が開かれた。工場長が社長の問い掛けに応えた。
「営業部長、客先は引渡しをどれだけ待ってくれる?」
「一ヶ月です」
「どうだ工場長」
「無理です」
「なんとかならんか」
「社長」
「なんだ業務部長」
「今日、山形発動機にエンジンを発注しました。6000馬力のあのタイプは、最短で納期二ヶ月かかります」
「工場長、二ヶ月ならどうだ」
「二ヶ月あればOKです」
「営業部長、二ヶ月待ってくれるよう申し入れてくれ。業務部長、山形さんからも口添えをしてくれるよう頼んでくれ」
「で、設計部長、図面は用意したか」
「はい。おい」
 部長が僕の脇腹をつついた。あわててホルダーから図面を取り出した。
「その図面の通り造りなおせばいいんだな。図面の修正は必要か」
 社長が聞いてきた。
「この図面のままでOKです」
「よし。業務部長、ただちに部材と鋼板を発注してくれ」
 船体のど真ん中に大穴が開いた早龍丸は、台船に搭載されて、艤装工場から本社工場に曳航された。本社工場の船殻課の手で舳先と艫が切断され、二カ所の定盤に置かれた。穴の開いた中央部は廃材として産廃業者に引き取ってもらった。
 船の建造はペーパークラフトを同じだ。紙の替わりに鋼板を使って実物大の実物を組み立てる。だから、無事だった舳先と艫はそのまま使える。ただし、電柱が突き刺さった時の衝撃で、鋼板が歪んでいる可能性が大きい。船穀各所の寸法を精密に測定して、歪みを直さなければならない。修正不能の部分は、新たに鋼板を購入して、NC加工と曲げ加工、溶接作業をもう一度行う必要がある。
 会社としては大きな出費となるが、この出費を船の建造費にプラスして、船主に請求するわけにはいかない。海に関係する仕事に従事する者は縁起をかつぐ者が多い。建造中に電柱が突き刺さって大破した船など、引き渡しを拒否されても致し方ないところだ。
 工事はおおむね順調だ。会議では図面の修正は不要といったが、実際に修復工事に取りかかると、小規模な図面修正が必要な所が出てきた。
 舳先と艫に、新たに作った中央部を接続するのだが、船殻は図面通りに製作できる。問題はエンジンだ。エンジン本体は破損したものと同じだ。ところがエンジンを船底に据え付けるマウント部分が前回とは少し違う。
 エンジン本体を先に造って、それにあわせてマウント部分を製作するのだが、マウント部分に半月かかる。納品が半月遅れると山形発動機から連絡があった。汎用品のマウントなら山形に常時在庫がある。
 汎用のマウントを使わざるを得ない。前回は船底にあわせたマウントだった。汎用マウントに乗ったエンジンを搭載するには、船底を中心に中央部分の設計を変更しなければならない。
 エンジン本体は同型だから、寸法は同じ。そのエンジンを積むマウントだから、汎用といってもそう大きな寸法違いはない。
 山形から早急に汎用マウントの図面を取り寄せて、船の図面の修正に取りかからなければならない。
 図面の修正はすぐにできる。しかし、実際にエンジンを搭載する段になれば、思わぬ箇所が修正を施さねばならないかも知れない。 船造りは自動車造りとは違う。自動車は型でポンポンと造っていく煎餅と同じだ。船は船主の注文によって一隻一隻違う。ほとんど手作りといって良い。鉄板の曲げ、溶接、切断などの作業は、造船工の経験と勘による職人仕事なのだ。
 現場は設計者が引いた図面通りに仕事をすれば良い、という設計者は船の設計はできない。船の基本の性格はしっかり守りつつ、現場の意見を聞き、図面の修正を臨機応変に行う柔軟性も必要なのだ。
 二ヶ月で船主の引き渡さなければならない。現場は昼夜三交代で突貫工事に入る。設計者は、現場の声を聞くため、常に待機しておかなければならない。二ヶ月間、会社で泊まり込みとなる。
 会社に泊まり込んで一ヶ月半。この間、家に帰ったのは一回だけ。弁当、おにぎり、パン、インスタント食品。このコンビニの食べ物はほとんど食べつくした。なにか食べてないものはないかと、陳列棚を見ている時、携帯電話が鳴った。
「ここのボルトが締まらないんだ」
 エンジンから変速機を経て、船尾までペラ軸が通っている。そのペラ軸を受ける貫通金物が固定できない。調べると、貫通金物の底はまっすぐだが、そこの船底はミクロン単位だが、ごくわずかに曲がっている。図面では真っ直ぐのはずだ。そのためボルトがボルト穴に正対しない。これではボルトが締まらないはずだ。
「ここの歪み取りはしなかったのですか」
「これを見ろ」
 現場のボースンが図面を見せた。歪み取りを指示する記号が記入されていない。
「わたしのミスです。申し訳ありません」
「どうする」
 貫通金物の底を船底にあわせてカーブを付けるか。船底の歪みを取って真っ直ぐにするか。そのことをボースンに聞いた。
「船底の板の歪み取りをやるには、ペラ軸が邪魔だ。ペラ軸を取り外して、また設置するとなると一週間かかる」
 貫通金物を加工するしかない。しかも、船底の歪みにぴったり密着するような加工が。
「貫通金物をグラインダーで削ろうか」
 ボースンがいった。
「そんな精密な加工ができるんですか」
「できる。興津のじいさんなら」
 興津誠三。研磨の神様とかグラインダーの魔術師と呼ばれた男だ。今は引退してこの造船所にいない。ベビーグラインダーでミクロン単位の研磨ができる。
 興津じいさんが在職中、そのワザを見たことがあった。長さ300ミリの3枚の鉄板。
1枚目の鉄板にグラインダーをかけた。グラインダーで鉄板を二、三度なでただけだ。続いて2枚目3枚目にかけた。
 触って見ろという。手で鉄板の表面を触った。ごくわずか曲がっている。
「Rをつけた」
 マイクロメーターで計った。一枚目。鉄板の中央が縁より1ミリ高くなっていた。2枚目。中央より右に200ミリの箇所が1ミリ高くなっている。3枚目、左に270ミリが1ミリ高い。
「今は2011年2月22日午後2時2分だ」
「最後の70は」
「ワシは今年で70になる」
 興津のじいさんは酔っぱらっていた。お気に入りのワインを一本開けたことろだ。じいさんはワイン党らしい。
「ワシが行ってやってもいいが条件がある」「なんですか」
「こいつが空になった。もう一本買ってくれ」「判りました。すぐ来てください」
 じいさんの手を引っ張り、押し込めるようにリアシートに座らせた。
「だいぶん酔ってますが、だいじょうぶですか」
「なあに、会社に着くまでに覚める。ところで一本といったが、ワンケースにしてもらえんじゃろか。ワシの年金ではあんなワインなかなか飲めん」
「ワンケースでもツーケースでも。なんならワインセラーごと買うよう会社にいってあげますよ」
 興津のじいさんの名人芸のおかげでペラ軸も無事設置できた。ちょうど二ヶ月で修復工事は完了した。
 引き渡し式のあと、早龍丸は無事出航していった。沖合に航跡を引きながら、小さくなっていく船を見ながら、僕は少し涙が出た。いろいろあって苦労したが、やっと一隻の船ができあがった。僕が初めて設計した船だ。
 ポンと背中をたたかれた。部長だった。
「ごくろうさん。よくやってくれた。ちょっと飲んで行ってくれ」
 部長に連れられて食堂に行くと、簡単なオードブルとビール酒といったアルコールが用意されていた。ワインもワンケース置かれていた。社長や工場長、関係者も全員そろっていた。
「みなさん、ご苦労さん。興津さんに三ケース贈った。おすそわけだといってワンケースくれた。まずはこのワインで乾杯だ。工場長、乾杯の音頭を」
 社長がいった。
「いろいろありましたが、なんとか今日引き渡しもすみました。ワイングラスを持ってください。乾杯」
 ワイングラスを傾けた。さすがに興津さんが愛飲するだけあって、うまいワインだった。
 いろいろあったが、とりあえず今はほっとしている。電柱?電柱がどうしたって?
 
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
名工 (まろ)
2013-01-24 07:04:21
この興津さんのような「グラインダー職人」は今も
各地にいて、私も取材したことがありますが
実に凄い「技」ですねえ!
ところで電柱は・・・と言うとやはり無粋でしょうか(笑)
 
 
 
まろさん (雫石鉄也)
2013-01-24 09:18:54
私も、名人芸な職人さんは何人も見ました。東大阪あたりの中小企業には、そんな名人がたくさんいました。
そういう名人たちは、日本のモノ造りの宝だと思います。大切にしなくてはなりません。
実は、この作品、さる人から「桟橋」「電柱」「ワイン」の三つを使って三題話を書けといわれて、そのリクエストに応えて書いたものです。ちょっとしんどかったですね。
 
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