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2月11日(水) 手塚治虫 現代への問いかけ

 NHKのBS-2で放送された「手塚治虫 現代へ問いかけ」を観た。非常に内容のある番組だった。
 司会は渡邊あゆみアナと手塚真。4人のパネラーは、萩尾望都(相変わらず神々しいモトさま)、香山リカ(優れたモノ書きだが、しゃべるとアホに見えるのはなぜだろう)、高橋源一郎、船越栄一郎。
 漫画といえば、手塚以前は滑稽でアハハと笑うものだった。手塚はその漫画に「悲劇」を持ち込んだ。たしかにそうだ。「のらくろ」や「さざえさん」には悲劇はない。高橋は、その手塚の持ち込んだ悲劇を「偉大な悲劇」といっていた。当たっている。これは手塚が、SFマインドを色濃く持ったクリエイターだったからだろう。
「悲劇」と「偉大な悲劇」はどう違うのか。「悲劇」は人間にふりかかる悲しい出来事を扱うドラマ。「偉大な悲劇」は、種としての人類、ホモ・サピエンスという、この地球に生息するいち生き物にふりかかる悲しい出来事を扱うドラマ。
 純文学が「人間」を扱う文芸に対して、SFは「人類」を扱う文芸だ。この文脈は見事に比例するのではないだろうか。手塚がSFマインドを持ったクリエイターだからこそ、「偉大な悲劇」を創造できたと見るのは、SF者たる私の身びいきだろうか。
 手塚は、その人類にふりかかる悲しい出来事として、戦争を重要なテーマとしていた。番組では、手塚の大阪での空襲体験が、反戦の思想を育み、後の手塚作品の背骨となったと分析していた。手塚自身は、あの体験をすれば、だれでも描けます、といっていたが、だれでもかけない。私たちの親の世代は、手塚同様、戦争で地獄を見た。しかし、私たちの親は描かなかった/描けなかった。これは、あの時、あの場に手塚が、他のだれでもない「手塚治虫」がいたからだ。これはまさに、戦後の日本の文化にとって、ものすごく大きなターニングポイントだっただろう。あそこに「手塚治虫」がいなかったら、日本の文化はどうなっていただろうか。
 番組の後半にテレビアニメ版「鉄腕アトム」最終回「地球最大の冒険」をまるまる1本放送してくれた。ダイジェスト版ではない。1本そのまま放送してくれた。信じられない大サービスである。さすがにオリジナル放送当時そのままの明治製菓のCMまではついていなかったが。私は、アトムはリアルタイムで毎週観ていた。もちろんこの最終回も観た。
 アトムが黒点異常を起した太陽に突入するという悲劇的な結末だが、終わりにお茶の水博士が「第2第3のアトムがきっと出てくる」といっていた。希望のあるセリフだ。事実、大阪大学の浅田稔先生など、アトムに触発されロボット工学に進んだ研究者が多く、日本のロボット工学は世界の最先端となった。アトムの後継者はすでに出ている。
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