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カウンターステア

 タコメーターの針は2000回転を示している。道の両側の緑が後ろへ流れている。車は静止していて、両側の風景が高速で流れているようだ。実際は、車は時速120キロで走っている。まっすぐな道。凹凸の少ない路面。それに12A型ロータリーエンジンの卓越した静粛性からくる錯覚だ。125馬力を発揮するこのマツダ・サバンナGTは、それまで無敵を誇ったニッサン・スカイラインGT-Rの連勝を昨年の日本GPでストップさせた。サバンナ。その名の通り大草原を走る野獣。それも静かなる野獣である。
 前方にカーブ。大きなRを持つカーブだ。右足をスッと斜めにする。つま先で軽くブレーキ。同時にトップに入っていたギアを抜く。ニュートラル。つま先でブレーキングしつつ、かかとでアクセルを蹴る。タコメーターの針がピンを動く。すかさずシフトダウン。ギアをサードに入れる。ダブルクラッチ。このカーブのRならセカンドだ。一瞬で判断する。もう一度ダブルクラッチ。ギアはセカンド。サバンナのノーズはカーブの入り口にさしかかっている。クラッチから足を離した瞬間エンジンブレーキがかかる。ロータリーエンジンは、レシプロエンジンに比べてエンジンブレーキは弱い。
 車体が直進している時にフットブレーキを踏む。すかさずステアリングを回す。斜めになった。アクセルを踏む。エンジンの回転が4000回転まで上がる。自然吸気エンジンだからアクセルを踏めばタイムラグなしでエンジンが反応する。
後ろの駆動輪に16.5Kgのトルクがかかる。ズズズ。後輪が滑る。車の頭がコーナーの出口に正対しようとする。ステアリングをすかさず回す。カウンターステア。後輪のすべりがピタと止まる。車の頭は正確にコーナーの出口に正対した。そのまま加速しつつコーナーを抜ける。コーナーはアクセルワークで駆け抜けるのだ。ステアリングはそれの補佐にすぎない。
今は1972年5月。サバンナGTを駆って、山口県は秋吉台の道路を走っている。萩から津和野へのドライブの最中だ。

 この道を走るのは53年ぶりだ。両側の風景が流れている。それは錯覚で、車は時速80キロで走っている。ぴったり80キロだ。それは私の意志ではない。車の意志だ。ヨシダ・コティングレイ・エレクトニック。ヨシダ自動車が今年2025年に出したニューモデルだ。完全自動運転のコティングレイの電気モーターは極めてスムーズに回っている。車はその名の由来となった妖精のように5月風の中を音もなく走る。
「音楽でも聞きますか」
 コティングレイが話しかけてきた。若い女の子の声だ。コティングレイの音声設定は。1970年代のアイドルの声を合成して設定してある。
「そうだな。頼む」
「なにがいいですか」
「70年代アイドルだ。南沙織だな」
「17歳」が流れてきた。助手席には愛猫ピートが居眠りしている。窓を開ける。皐月の風がピートの毛を揺らす。
 前方にカーブ。コティングレイはカーブに入った。53年前30歳だった私は、サバンナを駆ってこのカーブを駆け抜けた。今、このカーブを抜けようとしているのは私ではない。それはコティングレイの仕事だ。83歳の私は運転者ではない。客ですらない。私は「荷物」だ。
 ピートの毛が1本抜けた。それがダッシュボードのすき間からエンジンルームに入った。エンジン制御システムのユニット内の基板に猫の毛がくっついた。基板に装着しているCMS-ICは過電流に弱い。MOS構造の酸化皮膜が過電流にさらされると絶縁破壊を起こす。それは人体が有する静電気にさらされても破損する。だからCMOS-ICは素手で触ってはいけない。動物の毛は静電気をたっぷりと含んでいる。猫の毛がエンジン制御基板のCMOC-ICに付着した。悪いことにそのICは振動で基板から端子が半分以上はみ出していた。ICを基板に実装するさいのハンダの上がりが不充分であったのだ。そこに猫の毛がついた。 
 車はカーブに入った。スピードが落ちない。モーターの回転数が異常に大きい。コティングレイのリアが大きく流れる。いかん。道路の外に飛び出す。53年前の自分を思い出した。カウンターステア。あのときの私は寸分の狂いなくカウンターステアを決めたものだ。車のリアの流れはピタッと止まる。
 はずであった。ダメだ。そもそもこの車にはステアリングはついてないのだから。コティングレイは道を飛び出し、5月の空に大きく飛翔した。
 
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