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ミュータント狩り(第2回)

                                        ミュータント狩り(第1回)
 第2章

 今年は「新開拓紀」が始まって50年目にあたる。
「新開拓紀50年」─、それは人類とミュータントの戦いの歴史である。
 3000年前、人類は全面熱核戦争を起した。地球上全域は濃密な残留放射能に汚染された。生物のほとんどが死滅した。
 その災厄の日より数日前、30隻の超大型宇宙船が地球を脱出した。「その日」がいつか。正確に予測していた人々が存在した。
 完全自給自足機構を備えた、その宇宙船群は、1隻につき約100人。合計3000人の人間を乗せて放浪の旅に旅立った。
 時が流れた。船団の人たちは、最初に地球を出発した人たちの孫の世代になっていた。
 果てしなき放浪。地球と同じような条件の居住可能な星がきっと見つかる。希望だけにすがって人々は旅を続けた。
 ある日、懐かしい物がディスプレイに写った。
 地球! 
 彼らは放浪を続けることに疲れ、「新しい地球」の発見を諦めかけていた。そんな彼らの前に、捨てはしたが、懐かしい地球が姿を現した。
 長い長い放浪の果てに、人々は太陽系へと戻っていたのだ。ディスプレイに表示された地球は、まだまだ残留放射能が強く、居住不可能な惑星かもしれない。しかし、目の前にその星は、宇宙のサファイアのように青く輝く、まごうことなき彼らの故郷である。
 彼ら─地球を飛び出して行った人々の子孫たち─は、再び地球に降り立った。放浪のすえ、宇宙の果てで死ぬより、同じ死ぬなら故郷で死ぬ。との決断を人々は下したのだ。
 地球はきれいな地球に戻っていた。残留放射能はなかった。しかし、かって、繁栄の極みに達していた人類の文明は跡形もなく消えていた。そのかわり、そこは生命の楽園となっていた。
 限りなく広がる大草原。大地を闊歩する大型哺乳類。彼らはあの大災厄を、くぐり抜けて生きてきたのだ。人類(ホモ・サピエンス)のように地球を見捨てずに。
 しかし、地球は動植物にとっては楽園でも、戻ってきた3265人の人類(ホモ・サピエンス)たちにとっては、未開の大地である。彼らにとって、この星は地球は、帰ってきた故郷というより、これから開拓すべき、新しく発見された惑星だといっていいだろう。
 それから、時が流れた。子供が生まれ、人口が増えた。あちこちに、村が、町ができた。しかし、それは大自然の中に散らばっている「点」であって、決して「面」ではない。
 完全に原始に戻った地球の「大自然」は人類の拡散を頑強に拒む。
 ずっと後になって出てきた新参者のくせ、あっという間に横暴な征服王となり、悠久の時の流れが創った、幾種類もの生命を絶滅させ、生態系を破壊し、自らの分別のなさによって、未曾有の大災厄を引き起こした「人類」を再びはびこらせまいとする、固い決意を示すかのように・・・・。
 その人類の拡散を拒む「大自然」の「核」(コア)ともいうべきグループがある。ミュータントたちだ。残留放射能の消滅とともに復活した、大自然の中での生活に適応するように、彼らはホモ・サピエンスとは全く違う生物に変身して生き延びていた。
 ミュータントたちは、かってのホモ・サピエンスたちのような、「人類は万物の霊長なり」との奢りは、全く持ち合わせていない。この星の自然の中で生活していけることに感謝し満足し、完全に大自然のメカニズムに溶け込んで、慎み深く暮らしている。かって、人類が生まれた当初のように、森羅万象を「神」とし、海を「母」とし、山を「父」とする「地球の子」として生きている。
 彼らも、道具を使い、火も使う。知能もホモ・サピエンスと同じ。しかし、それは、虎が牙と爪を持ち、鷲が翼を持つのと同じで、身を守り食物を摂って生きていくためのもの。かっての人類のように、自然を切り拓き、「文明」を創り出そうなどという野望は決して持たなかった。
 彼らの意識下には、かって自分たちの先祖が犯した、地球生態系の大破壊という、地球史上最悪の犯罪に対する贖罪の気持ちが、強く働いているのかもしれない。
 そんな彼らの前に、ホモ・サピエンスたちが宇宙から舞い戻り、再び地球上に文明を築こうとしている。

                          次回更新4月18日予定
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