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「出張なんだ」
「またあ。今度はどこ」
「九州」
「最近出張多いね」
 結婚して十五年。子供はいない。夫婦仲は、まあ、いい方だろうと、晴子は自分では思っている。
「疑い」は一度発生すると消えない。大きくはなる。小さくなることもある。しかし、ふとしたことで、また大きくなる。消えることはない。
 昭夫に限ってそんなことはなかろう。と、否定したい気持ちがわきあがる。
「それじゃ行って来る。あしたの午後には本社に戻っている」
 小さな旅行鞄一つ持って昭夫はでかけた。一泊の出張だ。今晩は帰ってこない。夕食のしたくはしなくていい。
 晴子は近所のスーパーでシャンプーと醤油を買った。クリーニングに出していた昭夫のカッターシャツも引き取った。
 昼食はそのスーパーの軽食コーナーでお好み焼きを食べた。今晩、どうしよう。自分のぶんだけ夕食を作るのもめんどうだ。駅弁大会をやっている。お弁当でも買っていこう。売り場で一番高い弁当を買った。ビールも飲んじゃお。五〇〇ミリリットルの缶ビールも買った。
 テレビでバラエティを見ながら弁当を食べる。外でちょっとぜいたくな食事をしても良かったかな。
 弁当のおかずの唐揚げをつまみにビールを飲む。ちょっとヤバイかも知れない。昭夫がいないとき、ときどきだが、酒を飲む。酒といっても、三五〇ミリリットルの缶ビールを一本飲むぐらいだった、以前は。それが最近では、五〇〇 ミリリットルの缶を飲むようになった。
 キッチンドリンカーになるのかな、わたし。 「疑い」が重しのように意識の中でのしかかる。消えない。小さくもならない。大きく重くなってきた。
 なぜかは判っている。昭夫のことだ。最近、残業が多い。出張も多い。昭夫は人事部なのだ。会社勤めの経験がない晴子は、人事部が具体的にはどんな実務をしているのかはよく知らない。でも、営業や技術とは違い、人を扱う部署だということぐらいは判る。
 一度、問いただしたことがあった。
「最近、残業や出張が多いのね。あなた人事部なんでしょう」
「春闘が妥結したばかりなんだ。社員一人一人の査定をまとめなくては、昇級の数値がでないんだ」
「出張は」
「九州と名古屋の支社の人事のベテランが急にやめたんだ。偶然だな。俺が手伝いにいかなくては支社が動かん」
 納得はしない。しかし、会社の組織と業務をよく知らない晴子は抗弁するすべを知らない。夫を信用したい。その気持ちはある。
 クリーニングから引き取ってきた昭夫のカッターシャツをタンスにしまう。
 ん。そのカッターシャツに妙な違和感を感じた。クリーニングはちゃんとできている。しみ、しわはない。ほころびもない。ボタンもみんな付いている。なんの異変もない。しかし、何か「感じる」五感のどれに感じるのかは判らない。しいていうのなら嗅覚か。別にそのカッターシャツから異臭がするというわけではない。ともかく、なんか「臭う」のだ。
 カッターシャツを手に持って子細に観察する。きれいにクリーニングされた、なんのへんてつもない白いカッターシャツだ。でも、「臭う」なんの「臭い」か判らない。どういう「臭い」かも判らない。鼻で感じる「臭い」でもなさそうだ。さっき、嗅覚といったが、これは、いわゆる第六感といった方がいいかも知れない。
 このカッターシャツは何を発信しているのだろう。
 ん、このボタン。胸のボタンの上から三つ目。他のボタンと違う。カッターシャツなどのボタンがとれれば、晴子が付ける。昭夫はボタンなど自分でつけるような男ではない。
 こんなボタンをつけた覚えはない。このボタンが「臭い」のもとだったのだ。晴子の「疑い」は確信に変わった。このボタン、どっかの女がつけたモノだ。
 晴子は、そのボタンに指をかけた。親指、人差し指、中指で、きつくつまんだ。
「こうしてやる」
 思いっきり引っ張った。ボタンが取れた。「ん、なにこれ」指先が赤くなった。血だ。
指に傷は負ってない。だれの血だろう。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
おねがいします (はる)
2017-08-12 02:11:51
最後にドキッとしました。怖い!
朗読のお願いです。よろしくお願いします。<(_ _)>
 
 
 
はるさん (雫石鉄也)
2017-08-12 04:18:01
朗読OKです。
楽しみにしています。
 
 
 
怖い (りんさん)
2017-08-16 10:14:35
女性の心理がすごく伝わってきます。
相手の女性がわざとボタンを付けたのか、それとも「疑い」からそう見えてしまったのか。
だんだん壊れていく感じが怖いです。
 
 
 
りんさんさん (雫石鉄也)
2017-08-16 10:34:21
ありがとうございます。
このボタンが「女性」を象徴してると解釈していただいたのは、作者としてうれしいです。
 
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