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文学とはなんぞや

 ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した。これに関して、多くの感想は「意外だ」「びっくりした」「思いもしなかった」というもの。小生も同様である。
歌手では初めての受賞だ。ノーベル歌唱賞ではないので、ディランの歌に賞が与えられたわけではない。ディランが作詞した歌詞が文学的に優れていると、ノーベル賞の選考委員が評価したわけだ。
 この件に対して異をとなえている人がいる。「文学賞」であるからして、詩や小説、評論に与えられるべき、歌うことを前提にした歌詞に「文学賞」をおくるのはおかしい、ということだろう。
 こういうことになると、「文学」とはなんぞや。文学の定義という問題になってくる。ディランの受賞に異をとなえている人にとっては、文学とは、詩や小説を紙に印字して表現したモノ(最近は電子的にディスプレイに表示されたモノも入れるべきだろう)という定義なのだろう。
 ところがそうではない。人はだれでも物事を表現したいという欲を持っている。その表現欲の素=メッセージ。これが「文学」である。それを詩にするか小説にするか、はたまたディランのように歌にするかは、表現手段が違うだけで「文学」の価値は同じである。と、いうこともいえるわけで、このたびのノーベル賞選考委員はそう考えてボブ・ディランをノーベル文学賞としたわけだろう。
 ノーベル賞選考委員は画期的なことをわけだが、すでに、かようなことをすでにやっているジャンルがある。いささか手前味噌であるが、SFである。SFの賞、世界的にはアメリカのヒューゴー賞、日本では星雲賞、いずれも映像門がある。また日本SF大賞を受賞した映画やアニメもある。
 今後は映画やアニメ、漫画もノーベル文学賞を受賞してもいいだろう。手塚治虫がご存命なら、ノーベル文学賞を受賞していたかもしれない。残念。
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コメント
 
 
 
 (giants-55)
2016-10-19 00:46:48
ボブ・ディラン氏がノーベル文学賞を受賞した件、自分も速報を観た瞬間は「ボブ・ディラン!?彼の有名な歌手と同姓同名の人物が受賞したのか?」と驚きました。

今回の受賞に付いては賛否両論在りますが、彼のファンでも何でも無い自分からすると、こういう形が在っても良いと思います。彼の詩には“深み”が在るし、小説という形を取った物だけが“文学”では無いと思うから。言葉が時代と共に変質して行く様に、文学という概念も変わって良い筈。ミステリーの世界でも、昨今は「此れってミステリー!?」と思う様な作品がミステリー賞を受賞したりするけれど、実際に読んでみて「良いな。」と思う物で在れば、其れは其れで良いと思う。

手塚先生、自民党政権下でなければ(共産党との関係が在るので)、間違い無く国民栄誉賞を受賞していた人物だと思いますし、ノーベル平和賞だって彼の“文学性”や“哲学”を思えば、受賞してもおかしくない。様々な意味で、亡くなった時期が悪かった(谷間に当たった)気がしますね。
 
 
 
文学はそもそも歌うものですよ。 (アブダビ)
2016-10-19 02:34:05
小説を現代の我々が定義するならば、散文つまり平明な現代文(話し言葉)で書かれ、物語を語るものです。
しかし、そういう「小説」が産まれたのはヨーロッパなら14世紀(だと思う)の英国のチョーサーの「カンタベリー物語」からです。
中国ならば白話文学、つまり明代の「三国志」や「水滸伝」からです。それ以前の「唐代伝奇」とかは全て韻文つまり文語体です。日本人は「読み下し文」に変換してしまうから解らないだけ。
つまり中世後期まで、物語は全て韻(リズム)を含んだ「詩」もしくは変形態の擬詩でした。
羅漢中やチョーサーがやると、これが便利であり、さしずめ明治の日本で正岡子規が「写生文」を披露すると、一気にそれまでの候文から日本人が脱却したように、韻文から散文で「物語」を欠くようになっぢけです。
「ニーベルゲン」はかゲルマン族の歴史を描いた文学ですが、全部が「詩」で出来てます。
それが文学の主体でした。
散文はカエサルの「ガリア戦記」や「内乱記」みたいに「事実の記録媒体」でした。
要するに「詩」なんですよ、そもそも文学は。

で、長大な「物語」(仏語のヒストリエが歴史と物語の意味を持つように両者は一体でした)を
王侯貴族すら文盲が一般的であった中世・古代に、どうやって伝えたのか?

歌ったのですよ。吟遊詩人でいたでしょ?
我国でも「平家物語」はどうやって伝承されました?
琵琶法師ですよね?
祇園精舎の鐘の音…ベベンベン!
琵琶を弾きながら弾き語りしてた!
つまり音楽だったんすよー!!
歌うからこそ暗記が出来たのです!

こういう事を書くとさ、どうせ「弾き語り」は語りで歌ってない!とか屁理屈を言う奴がいますが…笑止てすね。
ラップを聴いて観れば解る。
2パックでも、エミネムでも、パブリック・エネミーでも良いけど、あれは自らの主張をポエムに載せてDJが発する音楽に載せて語るもの!
音楽に載せた舌論バトルなのです。
でも彼らは音楽家であり歌手として扱われてますね。弁士ではない!!
ポエムをカタルのが音楽でないと言うのならば、エミネムは落第してしまいます。でも、彼は世界的な音楽アーティスト、歌手ですね?

もともと文学は「吟う」ものてあり、詩なのですよ!
ディランが選ばれたのは、そもそもに原点回帰したのであって、別に新機軸ではありません!
 
 
 
そもそも文学とは何ぞや? (アブダビ)
2016-10-19 03:36:01
一言で言うと「敵味方識別装置」であり、「裁判」でした!

世界中の先進文明に滅ぼされた未開民族を観ると、全てが「歌う口承文学」を盛っていた粉とが理解できます。
エッダもユーカリもそもそもは歌う文学です!
文学は何故に産まれたのか?

起源は文字が産まれる以前の有史以前です。
新石器時代に遡る!
古代ブリテンのピクト族(スコッチの先祖)でも、
史記や春秋左伝に登場する夷族は、必ず文身つまりタトゥを彫ってます。
あれは敵味方を識別する装置なのです。
自分達の祖先神に由来する「神話」をビジュアルに表現したものなのです。
そのリソース(資源)となるのは、部族の祖先神の物語を歌って踊って伝える語部の物語を起源としてます。同じ部族なら解るのですよ。そのタトゥに込められた意味が!

旧石器時代から新石器時代当初まで、人類は希薄なフロンティアに散在していました。
獲物は沢山いて、狩場を食い尽くしそうになるとバンドから若ものが嫁を連れて新天地に分家する。車どころか騎馬技術すら有りませんから、せいぜい「山を一つだけ越える」とか、川向こうに行く程度の移住!
近場に移動した分家は、本家に赴いても、
「こいつの親父は俺の従兄弟だ!」
とか「証明」が出来ました。

しかし猟具の発展は事態を変えます。
例えばパチンコで棒を放つ程度の弓矢の時代は
矢羽の発明でおわります。
鳥の羽の表裏を規則的に矢にセットしただけで、矢はライフル弾のごとく回転して飛ぶようになり、貫通力と殺傷力は桁違いに上がる。
食糧であった大型獣をとりつくしてしまいます。すると…狩場を巡る「戦争」が始まる。
加えて「通商」が羽島っていた!
マルコ・ポーロみたいな全行程を路破する「商人」はいませんけど、各地に「分家」した一族の居留地の存在によって、「仲間・身内」はあちこちにいる。
居留地をで物がリレーしていく事で、原始的であれ「通所」が存在したのですよ。
でも、当時の物々交換ですから、互いに商談が満足に成立すれば「交易」ですが、破談すれば
掠奪・戦争です。

そこで「敵味方識別」に要するのが「祖先神の神話」なのですね。
むかしむかし、我らの先祖は遠い北の大河を出発し、太陽を左に観ながらなんかしてきた…
みたいな祖先に対する伝説です。
祖先神が同じならば「味方」、違えば敵!
それぞれのグループは「祖先神神話」に基づく
「物語」を持ちます。
物語が同じならば、それは祖先を同じくする「味方」です「身内」です。
違うならば「敵」です。
こうして生産性の低い狩猟社会性でも、数十人から百人程度の「動員」の出きる「戦争」が可能となりました。
その識別は「祖先神か同じ」という認識に依るのですが、こういう氏族(血縁)から離れて、
そもそもの
ルーツが「同じ」と認識する社会をトライブ(部族)と言います。
氏族(顔の解る血縁関係)から、神話を同じくする
集団に代わる訳です。

これらを繋いだのが、歌って躍りながら、祖先神を称える「語部」だった訳です。
遥か遠い昔に別ったが、ワレワレは起源を同じくする…そういう祖先神話を語部たちは団結の為に歌いました!
それが「国家」の起源であります。

文字の存在しない社会であるからこそ、歌と神話は1体であり、代々の子孫に詩としてつたえられた訳です。
それらは歌により口承をされて伝えられました。これが「文学」の始りだと思いますね。
 
 
 
裁判について (アブダビ)
2016-10-19 04:15:27
これは文明開化段階に入ってからの話になります。すみません、徹夜明けに揉みほぐし連続9時間な勤務明けで疲れて書く気がしません。
管理費さんが興味あるならば後日に書きます。
無いならば、ここでおしまいにいたします。
どうも。
 
 
 
現実はまるでSF (アブダビ)
2016-10-19 04:35:28
20年ほど前の事かな…訳あってニューギニアに行きました商売で。
びっくりした!
最新の医療設備を誇る病院の前で「石器時代の戦争」が繰り広げられた!
弓矢と投げ遣りの戦争です。
やることは石器時代のまんま!
怪我人が運ばれてくると、胸に槍が刺さる患者が運び込まれる。そんな騒ぎになる前に政府が治めろと思うが…
先住民の権利が何とか…で、政府は干渉を出来ない。田舎とはいえ、最新の設備が整う宇宙船みたいな病院の近くで、槍や弓矢の戦争が行われている!!
これ、まんまジャック・バンスの異境SFすよ!
石器のナイフや槍の傷は銃のそれと違って、貫通しないからスプラッターなんす!
石器で傷ついた患者がツギツギと運び込まれるのです。で、外科は大騒ぎ!
それも「部族紛争」でした。
パキスタンのトライバルエリアでも感じたけど、人の憎しみあう構図は、実は近代以前からの宿縁であり、国連憲章なんか役にも立たない
と感じましたね。
人類は失敗だったと素直に評価をして、気高い終活をするべきでありません?
 
 
 
giants-55さん (雫石鉄也)
2016-10-19 08:50:45
ノーベル賞は生きてる人しか対象になりませんので、亡くなった人は対象外なんですね。
このたびボブ・ディランが受賞しましたが、ジョン・レノンが生きていたら、レノンの方がノーベル文学賞にふさわしいでしょう。手塚さんも亡くなったから受賞しませんでした。長生きも芸のうちとはこのことですね。
 
 
 
アブダビさん (雫石鉄也)
2016-10-19 08:57:18
文学とは、とどのつまり、ようするに「言葉」なんですね。「言葉」=「文学」といってもいいかもしれませんね。
太古の昔、穴居人たちが焚き火のまわりで、話したことが「文学」のルーツでしょう。
「言葉」は意志伝達の手段です。と、なると人間以外も意志伝達の手段を持っています。と、なると人間以外の「文学」もありえるわけですね。
人間以外の文学、どんなんでしょう。面白いSFになりそうですね。ディレーニーかティプトリーが書きそうですね。
 
 
 
Unknown (悠々遊)
2016-10-19 16:29:03
な~んだ、文学ってのは「文化学」ってことだったのか。
 
 
 
悠々遊さん (雫石鉄也)
2016-10-19 17:14:07
「文化学」そうかも知れませんね。
 
 
 
人間以外の文学かぁ… (アブダビ)
2016-10-20 02:16:04
鯨とかイルカは高度な音声言語を持つとされてますね。彼らに口承文学があったら、是非に翻訳して欲しいです。
 
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