雫石鉄也の
とつぜんブログ
柴野拓美氏ご逝去
柴野拓美氏ご逝去の報に接する。1月16日午後8時6分肺炎にてご逝去。
柴野さんは日本初のSF同人誌「宇宙塵」の創設者。日本SFファンダムの父ともいうべき人。小松左京、星新一、光瀬竜、といった第一世代のSF作家はほとんどが「宇宙塵」の同人であった。柴野さんがいなければ、今の日本SFはなかっただろう。日本のSFを創った人の一人といってもいい。
私の所属する「星群の会」もひとかたならぬお世話になった。第11回の星群祭まで毎回欠かさず出席され、貴重な助言を数多くいただいた。また、私たちの創作活動にたいしても、鋭くかつ優しくご高評をいただいた。
お元気なころは、どのようなイベントにもこまめに出席され、柔和な笑顔で「いやあ、雫石さん」と声をかけていただいた。
一度、お宅におじゃましたことがあった。そのころ小生は、星群の活動とは別に、日本SF大会を実行すべき準備していた。ファンダムの大先輩の柴野さんに相談に上がったわけだ。柴野さんはSF大会をやる前に、予行演習としてSFフェスティバルをやるといい、とのアドバイスをいただいた。
ご高齢になり、イベントでお会いすることはなくなり、近年は年賀状だけのごあいさつとなった。また、いつかお目にかかることもある、と楽しみにしていたが、叶わぬこととなった。
SF者たる小生の大恩人が亡くなった。
こころより柴野拓美氏のご冥福をお祈り申し上げます。
柴野さんは日本初のSF同人誌「宇宙塵」の創設者。日本SFファンダムの父ともいうべき人。小松左京、星新一、光瀬竜、といった第一世代のSF作家はほとんどが「宇宙塵」の同人であった。柴野さんがいなければ、今の日本SFはなかっただろう。日本のSFを創った人の一人といってもいい。
私の所属する「星群の会」もひとかたならぬお世話になった。第11回の星群祭まで毎回欠かさず出席され、貴重な助言を数多くいただいた。また、私たちの創作活動にたいしても、鋭くかつ優しくご高評をいただいた。
お元気なころは、どのようなイベントにもこまめに出席され、柔和な笑顔で「いやあ、雫石さん」と声をかけていただいた。
一度、お宅におじゃましたことがあった。そのころ小生は、星群の活動とは別に、日本SF大会を実行すべき準備していた。ファンダムの大先輩の柴野さんに相談に上がったわけだ。柴野さんはSF大会をやる前に、予行演習としてSFフェスティバルをやるといい、とのアドバイスをいただいた。
ご高齢になり、イベントでお会いすることはなくなり、近年は年賀状だけのごあいさつとなった。また、いつかお目にかかることもある、と楽しみにしていたが、叶わぬこととなった。
SF者たる小生の大恩人が亡くなった。
こころより柴野拓美氏のご冥福をお祈り申し上げます。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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アンドレ・ノートン女史の「太陽の女王号」シリーズの翻訳者として出会ったのが、氏との初めての出会いでした。
日本SFの礎を築かれた方が、また一人逝去されてしまった…。
世の流れとはいえ、残念です。
この場をお借りして、衷心からお悔みを申し上げます。
レンズマンは私がSFファンになってすぐに読んだ作品です。
私たち、後輩たちにとって、やさしく、かつ厳しい大先輩でした。
矢野さん、野田さんに続いて、柴野さんも亡くなりました。日本のSFを創った、方々が亡くなっていきます。
さみしい限りです。
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