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戦後SF事件史


 長山靖生          河出書房新社

 大変、興味深く、おもしろく読んだ。しかし、少々違和感を感じながら読んだ。正直、少しずつズレている感を感じながら読了したしだい。なんか、ちょっと違うんだな。小生の価値観、センス、SF感と大きく違っていれば、ふん、と鼻で笑って、「若いもんが何をいう」とボロクソにけなして終わりだが、長山氏のいっていることは、おおむね合っている。ただし間違いもある。岬兄悟がSFマガジンの「ショートショート・リーダーズ」からデビューとあるが、SFマガジンにはそんな頁はない。正確には「リーダーズ・ストーリイ」だ。
 自分でいうのもなんだが、小生は年季の入ったSFもんである。もう40年、SFもんをやっている。長山氏より小生の方がSFもんとしては先達だろう。だから、小生が本書を読めば、「うん、なるほど、あれはそうだったのか」「なるほど、そういう見方もあるな」と、ひざを打ちながら読めるはずだったが、本書を読んでいて一度もひざを打たなかった。
 本書で書かれている事は、だいたい小生も知っている。また、戦後のSF界の出来事、事件に関して小生なりの意見もある。小生と長山氏、同じSFもんといいつつも少し違うんだな。
 お見受けするところ、長山氏は、アニメ、漫画、幻想文学、現代美術、研究に軸足を置いたSFもんではないか。小生は、スペオペ、冒険小説、創作に軸足を置いたSFもんだ。同じSFもん、いや、同じSFもんだからこそ、この微妙な違いが気になる。違和感を感じる。これが小生が本書を読んで感じる気色悪さかもしれない。
 例えば「おたく」という言葉。長山氏は、この言葉、柴野拓美氏が初対面の相手に使い始めたのが始まりとしていた。柴野さんは日本のSFの大功労者。ところが柴野さんのお人柄は大変謙虚なお人柄。日本SFファンダムのほとんどのファンは柴野さんから見たら目下。ところが柴野さんは若いSFファンに対して「きみ」とか「くん」とか上から目線の呼びかけは決してしなかった。だから柴野さんは初対面で名前を知らない相手には「おたく」という言葉を使った。小生も柴野さんには世話になったクチだ。当然柴野さんと初対面の時もある。小生の柴野さんとの初対面は1974年の第1回星群祭の時だった。その時、柴野さんは小生を「おたく」とは呼ばないで、ちゃんと「雫石さん」と呼んでくれた。
 SF界およびファンダムの流れを要領よくまとめてはいるが、大きな流れがごそっと抜けている。SFファンといってもヤマト、ガンダム、エバンゲリオンにうつつをぬかすファンばかりではない。しこしこと創作にせいを出すファンもいるのだ。小生なんざ、チャチャヤング以来、もう40年もあきもせずショートショートを書き続けている。そういう創作するSFファンに関する記述が抜けている。SF大会のオープニングにアニメを創って、それがうけて、DAICONフィルムなるものを作り、ゼネナルプロダクツなる店を作り、SFファンダムを金もうけにした武田康広、岡田斗司夫に関しては頁を割いているが、(DAICONは武田岡田一味だけのものではない。彼らがやったDAICONは3と4だけ。DC1は筒井康隆氏、DC2は高橋正則氏、DC5は山根啓史氏、このDC5は小生もいい出しっぺの一人。あとDC7まである)地道に創作に励んでいる、星群、北西航路といった創作ファンジンに関することが抜けている。徳間書店のSFアドベンチャーも紹介していたが、この雑誌にはSF同人誌を紹介するページがあって、荒巻義雄氏、巽孝之氏、新戸雅章氏が担当していたが、同誌のこのページの果たした役割は大きいと思うが、長山氏は知らなかったのか、知っていたが無視したのか。
 いずれにしても、面白かったが不満の残る本であった。小生は、小生の知っていること、小生の能力のおよぶ範囲で、小生なりの私的SF史を、「とつぜんSFノート」で書いていこうと思う。
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