日々是好日 とっつあんの雑記帳

とっつあんが徒然なるまま”ほっこりと暖かく誰もがうなずけるちょっとした幸せを感じる”話題を発信していきます。

五月晴れのもと散策(^^♪高槻市文化財スッタフの会「古墳特別ガイド」太田茶臼山古墳から

2017年06月17日 14時20分43秒 | 歳時記
相変わらず乾燥注意報が出たままの少しヒンヤリでさわやかな気持ちのいい梅雨の朝、晴れ最高気温31℃(+2)、洗濯指数80、シャツなら3時間で乾きそう、との予報。

朝から雲一つない青空から燦々と降り注ぐ陽射しがグングン気温を上げ、予報通り真夏日に行きそうな、ただ爽やかな心地よい風が少しは暑さを和らげているので、比較的過ごしやすい北摂。

今日は、古代の遺跡をボランティア・ガイドと一緒に散策してみませんか!と言うことで、とっつあんが所属している高槻市文化財スッタフの会「古墳特別ガイド」に一般参加するべく、出かけたのですが…。

コースは集合場所の土室南バス停~太田茶臼山古墳~陪塚~番山古墳~前塚古墳~今城塚古墳・古代歴史館なのですが、最初のポイント太田茶臼山古墳で、体調を考え、リタイヤすることにしました。

と言うことで、今日の1枚の写真は、太田茶臼山古墳で挨拶から説明を熱心に聞き入る参加者の皆さんの一コマです。

考古グループのメンバーが主体でやっておられるので、とっつあんのガイドとは違った切り口で、非常に参考になりました。
今後のガイド活動に活かしていきたいと思います。有難うございました。

ここ太田茶臼山古墳は「継体天皇三嶋藍野陵」(別名 池上陵)と呼ばれ、北から南に延びる低い台地上(安威川左岸の富田台地)に築造された一重の濠をもつ大きな前方後円墳です。
その規模は、墳丘全長226m、前方部幅147m、前方部高さ19.8m、後円部径138m、後円部高さ19.2mで、幅30m前後の周濠が巡っていました。

宮内庁は第26代継体天皇陵と指定しており、これを支持するかのように東太田には、継体天皇の9人の后を祀った「女九神社」があり(という話もありますが真偽のほどは?)、周囲には宮内庁指定のいくつかの陪冢もあります。

しかしながら、前方部端の幅と後円部の径があまり違わないこと、平坦地に造られていること、出土埴輪の形式などによって、この古墳は古墳時代中頃(5世紀中頃)のものであると考えら、継体天皇の没年531年とは合わず、被葬者は謎のままです。
現在では高槻市の今城塚古墳が有力となっています。

享保年間(1716~1736)の数度の調査を経て,『享保年間・山陵誌』は継体天皇陵を攝津国嶋下郡大田村の「池之山」に比定しました。
太田茶臼山古墳は私有地であり,「持ち山」としてよく保存されていたのに較べ今城塚は盗掘にあい,しかも戦国時代に支城として使用されて破壊され,天皇陵としての姿を示していなかった。
それに加え,国学思想,復古運動による尊王エネルギーによって,実証的研究よりも,まず「不明となっている」「荒涼とした」天皇陵の対策は急を要し,間違えて比定することになりました。

それでは、今城塚古墳より大きな太田茶臼山古墳の埋葬者は誰なのでしょうか…?
とっつあんには諸説の中から、とっつあんの考えに近いある人物だとしていますが…。
これを考えるのが歴史ロマン、皆さんも楽しんでみてください。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

明日6月18日(丙子 ひのえね 仏滅) 
●「父の日」
 1910(明治43)年にアメリカ・ワシントン州のジョン・ブルース・ドット夫人が、「母の日のように父に感謝する日を」と提唱しました。
 ドット夫人が幼い頃南北戦争が勃発。父、スマートが召集され、ドット夫人を含む子供6人は母親が育てることになりますが、母親は過労が元でスマートの復員後まもなく亡くなりました。以来男手1つで育てられたが、スマートも子供達が皆成人した後、亡くなりました。
 1916年アメリカ合衆国第28代大統領ウッドロー・ウィルソンの時に父の日が認知されるようになりました。1972年(昭和47年)になり、アメリカでは国民の祝日に制定されました。
 日本では1950年代ごろから知られるようになりましたが、母の日に比べると一般的な行事とは言えません。
 又、「父の日」のプレゼントには、黄色いリボンをつける習慣がありますが、イギリスでは古来、「黄色」は身を守るための色とされており、これがアメリカに渡って「黄色いリボン」となり、「愛する人の無事を願うもの」となったそうです。
 つまり、黄色自体に意味があり、「母の日」は「赤いカーネーション」、「父の日」は「黄色のバラ」の由縁です。又、黄色には、「うれしさ」「楽しさ」「暖かさ」「幸せ」「富貴」「希望」「向上」などの意味があるそうです。

●「海外移住の日」
 1908(明治41)年、ブラジル第1回移民として158家族781人が笠戸丸で神戸港を出港し、この年の6月18日にブラジルのサントス港に到着しました。
 それを記念日として、総理府(内閣府)が1966(昭和41)年に制定、国際協力事業団移住事業部が実施を開始しました。

●「考古学出発の日」
 1877(明治10)年、大森貝塚を発見・発掘したアメリカのポートランドの生まれの動物学者、エドワード・シルベスター・モース博士が来日しました。
 月20日、モース博士が汽車で横浜から新橋へ向かう途中に貝殻が堆積しているのを発見し、まもなく発掘調査が行われました。これが日本で初めての科学的な発掘調査で、日本の考古学の出発点となりました。
 モース博士は、日本文化を日本人以上に愛し、日本の文化財保護の重要性を説き、日本の陶器や民具の収集や研究に没頭しました。滞日中の日記を基に記した“Japan Day by Day”は、当時の日本の様子を知るための資料として、大変貴重なものとなっています。
 考古学とは、遺跡・遺物に基づいて人類文化の過去を研究する学問で、歴史学の一分野です。
 遺跡や遺物を資料として,過去の人類の文化を科学的に研究する学問で、文献や記録の少ない原始時代や古代の研究で成果をあげています。
 高槻市には是より5年も早い時期に調査された塚原古墳群があります。塚原古填群は明恰5年(1872)に大阪造幣局の技師として来日した英国人ウイリアム・ゴーランドによつて広く世界に紹介された古墳群でもあり、考古学史上においても記念すべき歴史遺産です。

●「おにぎりの日」
 石川県の旧・鹿西町(ろくせいまち)では、昭和62年11月、杉谷チャノバタケ遺跡の竪穴式住居跡から弥生時代のものと推測される炭化した米の塊つまり「日本最古のおにぎりの化石」が発掘されたことを機に「おにぎりの里」として、町おこしを展開しました。
 2002年(平成14年)10月1日、「おにぎりの日」を日本記念日協会に登録しました。
 6月18日としたのは、「鹿西」の(ろく)と、毎月18日が「米食の日」であることからです。
 ちなみに“日本最古のおにぎりの化石”は1辺の長さが8cmほどの二等辺三角形だったそうです。

●毎月18日は「観音(観世音)菩薩の縁日」「頭髪の日」「米食の日」「北海道清酒の日」です。

●「火とぼしまつり」
 茅野市の無形文化財に指定されている同市上古田の伝統行事「火とぼし」は、毎年6月18日と24日の夜に行われています。
 地元の小中学生15人が4カ所の神社前に築かれた「小屋」を燃やして五穀豊穣(ほうじょう)を祈ります。
 小屋を焼く火で農作物の害虫を追い払おうと古くから続いている伝統行事で、小屋の高さは5メートルほどで、地元有志や保護者らが築きます。
 子どもたちは「おんがら」と呼ばれるたいまつを持って山を登り、中腹で日没を待ち、周辺が暗くなると、おんがらに火をともし、親方を務める中学1年生5人の指示で移動します。
 秋葉神社近くの小屋から点火し、子どもたちは火柱に向かって「火とぼしチョーイチョイ」とはやし立てます。
 この行事は準備から後かたつけまで一切が子どもたちの手で行われます。
 長野県茅野市上古田 大泉山


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