39回授業研究の会の最後の1時間は、6年生国語「海の命」の教材研究を行った。
このお話の主な登場人物は、太一、与吉じいさ、父、母で、主人公は当然太一だ。
「~の太一が、~を通して、~になるお話。」とこの物語を一文で要約する。
ここで、話題になったのが、最初の太一をどの段落で考えるかだ。
父をあこがれていた子どもの頃を物語の出発点と考えるか、漁師として一歩を歩み始める与吉じいさへの弟子入りの部分を出発点として考えるかだ。
前者をとれば、父親にあこがれていた太一が、クエとの対峙を通して、父親を乗り越えたお話となるであろう。
後者をとれば、父が対峙したクエと出会いたいと思っていた太一が、実際のクエとの対峙を通して、本当の漁師になるお話となるであろう。
どちらの立場を取るかは、授業者の授業観によるだろう。
どちらをとっても、授業の核心部分はクエと対峙した部分になる。
ここで太一が成長するからだ。
太一の言動の、問題点を探す。
切って範囲を狭めることなく、次の2段落に問題点があると行き着いた。
㉝
もう一度もどってきても、瀬の主は全く動こうとはせずに太一を見ていた。おだやかな目だった。この大魚は自分に殺されたがっているのだと太一は思ったほどだった。これまで数限りなく魚を殺してきたのだが、こんな感情になったのは初めてだった。この魚をとらなければ、ほんとうの一人前の漁師にはなれないのだと、太一は泣きそうになりながら思う。
㉞
水の中で太一はふっとほほえみ、口から銀のあぶくを出した。もりの刃先を足の方にどけ、クエに向かってもう一度えがおを作った。
多数決をとると、34段落が選ばれた。
よりおかしいのはどちらの文か。
水の中で太一はふっとほほえみ、口から銀のあぶくを出した。
もりの刃先を足の方にどけ、クエに向かってもう一度えがおを作った。
多数決をとると、2文目が選ばれた。
よりおかしいのは、その前半か後半か。
もりの刃先を足の方にどけ、
クエに向かってもう一度えがおを作った。
多数決をとると、後半の「クエに向かってもう一度えがおを作った。」が選ばれた。
この部分で大問題を作った。
「どうして太一は、もう一度笑顔を作ったのか。」
答えを考えた。
クエをお父さんと思ったから。
お父さんに会えたように思ったから。
という、クエに対して笑ったという答えが出された。
それとともに、
殺さなくてよい理由が見つかったから。
殺さなくてよくなって安心したからという、自分の心に対して笑ったという答えも出された。
これをもとに、選択問題をつくる。
(1)お父さんに会えたように思ったから。
(2)殺さなくてよくなって安心したから。
一応、ここで多数決を求める。
(2)が大勢に選ばれる。
この大問題を考える前に、いくつか大事な問題が見つかった。
もう一度とある以上、最初に笑顔を作ったことについて調べておきたいのだ。
最初は、「ふっとほほえみ」だ。
このほほえみも、作った笑顔なのか。
笑顔とほほえみは同じなのか。
この辺りを解決しておきたい。
ほほえみは (1)作った笑顔
(2)自然と笑った
この答えは「ふっと」を調べていくと分かりそうだ。
『明鏡国語辞典』
②何の前ぶれもなく物事が起こるさま。また、事態が急に変わるさま。
不意と。ふと。
『新明解国語辞典』
(一)今まで考えもしなかった事が、何かの拍子に意識に上って来たり
今まで聞こえていた音や見えていた姿・光が一瞬のうちに消えたりすることを表わす。
ほほえむ=声を立てずにわずかに笑う。にっこり笑う。
(2)自然とわずかに笑みがこぼれたのだ。何の前触れもなく、クエに対して笑うなどと言うことは、今まで考えてもいなかったことで無意識に笑ってしまったのだ。
笑顔とほほえみは (1)同じ
(2)違う
辞書的にはほぼ同じようなことが書かれている。
単文をつくると、おそらく次のような違いが出てきます。
微笑みとは投げっぱなしで見返りを求めない事!
笑顔とは相手からも笑顔を返してもらいたいという事!
河島さんに微笑んだ。
河島さんが微笑んでくれた。
河島さんに、笑顔で答えた。
河島さんの笑顔がうれしかった。
ということは、一度目のほほえみは、一方的に無意識に笑ったのだ。
大問題の「一度えがおを作った。」は、明らかに最初のほほえみと違う。
対比になっている。
無意識 →作った(意識的)
ほほえんだ→笑顔を作った(見返りを求める)
あれ?、すると大問題の答えは、(1)お父さんに会えたように思ったから。になりそうだ。
なんだかおかしいような気がする。
そこで大問題を解くための文を探してみる。
大問題の答えはどの文から解けるか。
この部分だろう。
「おとう、/ここに/おられたの/ですか。/また/会いに/来ますから。」と/思う/ことに/よって、/太一は/瀬の主を/殺さないで/済んだ/のだ。
こと=人間の行為の一こま。
よる=よりどころとする。=根拠とする。
すむ=不十分ながら、事態が収拾される。
のだ=前に述べたことやその場の状況の原因・理由・帰結などを、解き明かすような気持ちで提示する。言い切りの形には断定の気持ちがこもる。
ここで選ばれる可能性のある言葉は
「よって」「済んだ」だろう。
お父さんと無理にでも思うことを根拠として、本当は殺さなくてはならない事態なのに、殺さないことにできた。
無理にでも思わなかったら(ブレーキを掛けなければ)、殺したのだ。
すると新しい問題ができる。
ブレーキを掛けてでも、殺してはいけないという思いが、太一は知らぬ間に身についていたのだ。
それは、どこで身に付いたのだろう。
ここでしょ。
⑲「自分では気づかないだろうが、おまえは村一番の漁師だよ。太一、ここはおまえの海だ。」
気づいていないが、無駄な殺生をしないで、生業を立てるだけの漁をする漁師になっていたのだ。
クエを射止めることは、生業を立てるためではない。
しかし、「この魚をとらなければ、ほんとうの一人前の漁師にはなれないのだ。」と表面上はまだ思っている。
だから苦しいのだ。
大問題を扱う前に、与吉じいさとの関係をよく学んでおく必要がある。
与吉じいさが、太一に教えたことが2つある。
1つめは、「千びきに一ぴきでいいんだ。千びきいるうち一ぴきをつれば、ずっとこの海で生きていけるよ。」である。
もう一つは、つり針にえさを付け、上がってきた魚からつり針を外す仕事だ。(これだけをずっとやらせている=一番大事なことだから)
この二つ目の仕事が、私は布石だと思っている。
魚は、海の中では「生きて」「自由」だ。
しかし、つかまると、「死」が待っている。
だから、針を外す瞬間に暴れるのだ。
タイが暴れて尾で甲板を打つ音が、船全体を共鳴させている。
魚が、自由な世界に逃げたい、
魚が、生きたい
そういう、命をかけて叫んでいる。
その思いが、船全体に共鳴するほどの力で船体を打つのだ。
与吉じいさは、太一がむら一番の漁師になるために、一番大事なことだけを教えたいのだ。
針をはずすと、まもなく魚は命を絶たれる。
生き物が命を失う場面を、よく見て、命の尊さを感じなさい。
毎日それを担当させたのは、「魚の命をもらって生業を立てるのが漁師だ」ということを実感させるためだ。
与吉じいさが⑲「おまえは村一番の漁師だよ。」と言った時点で、「太一の心」は村一番の漁師になっている。
しかし、「太一の頭」は、「この魚をとらなければ、ほんとうの一人前の漁師にはなれない。」と思っている。
つまり、「心」と「頭」が180度違う方向を向いている。
だから、苦しいのだ。
その、与吉じいさに教えられたことが、無意識に自然と体の中からわき出た瞬間
苦しさから解放された瞬間が、
「水の中で太一はふっとほほえみ」であり
それまで無意識の自分の気持ちに気づき、
今度は意識して自分の命を大切にする気持ちを表した瞬間が「もう一度えがおを作った。」だと思うのだ。
すると大問題の答えは
(1)お父さんに会えたように思ったから。
(2)殺さなくてよくなって安心したから。
このどちらでもなく、
(3)本当の村一番の漁師になれたから。
だと思う。
40回 | 2014年2月15日 | 土 | 9:00 | 12:00 | 天竜壬生ホール | 第2会議室 |
41回 | 2014年4月12日 | 土 | 9:00 | 12:00 | 天竜壬生ホール | 第2会議室 |