担任した学級の生徒です。みんな元気でした。普段は制服がありますが、この日はお別れ会だったので私服で登校していました。(1年生36人。いつもの教室での写真です。)
併設されていた日本メキシコ学院メキシココース中学部の校長先生と私のツーショットです。
メキシコで剣道を頑張っている皆さんです。カルロス先生(奥の右から3人目)とその道場のメンバーなど。(私は右上の「井手」です。)この写真は、メキシコ剣道大会(全国大会!)で団体優勝した時の写真です。
(1) メキシコ日本人学校(日本メキシコ学院日本コース)
33歳から36歳までの3年間、家族同伴でメキシコ生活を経験させていただいた。私からみると日本人学校で日本人相手に日本語で日本のカリキュラムにそって教育に携わっただけだが、メキシコ人に囲まれて生活しなければならなかった妻や幼い子どもたちにとってはすごいストレスだっただろうと思う。子どもたちを「キッズ・キャンプ」という現地の幼稚園に入園させた。日本語が全く通じない世界に放り込まれた子どもたちは、いろいろな方のおかげで、何とか力強くたくましく乗り切ってくれた。その上、幼稚園の保護者として知り合いになったグティエレス一家とは家族ぐるみの付き合いに発展し、メキシコの親友と呼べる仲になることができた。おかげでメキシコ生活を満喫することができた。また、現地での家族の日々の生活を支え、他に替えがたい貴重な体験ができたことは妻のおかげである。感謝したい。
日本人学校の職員で「授業キャラバン」と称して、メキシコ各地へ何度も日本文化を紹介しに行ったのも懐かしく思い出される。国際交流ディレクターにセットしていただき、長期休みを利用して日本人学校職員10名ほどで車を連ねて出かけた。空手、お茶、折り紙、習字、着物など、それぞれの特技を生かし日本文化を紹介した。私はメキシコ人の剣道の先生であるマルティネス夫妻(夫のカルロスさんは大学教授)と組んで剣道の紹介をした。また、毎週土曜日にはその剣道道場に指導に行った。剣道大会には審判兼選手として出場した。このように、外国人から見た日本文化について考え、その紹介に携わることができた。
この3年間のメキシコ生活は私の人生で大きな位置を占めている。現地の人から見ると、我々の方が外国人にあたるわけだが、「外国人になる」という経験は貴重な宝になった。言葉(スペイン語)は大切である。話せた方がいい。でも、もっと大切なのは『心の通じ合い』である。言葉が不自由でも心からの笑顔で分かり合える、ということを感じ、人の温かさを実感した。充実したかけがえのない3年間を与えていただいた関係の方々に、今とても感謝している。なお、先日のメキシコ大地震の時、無事を確認できてほっとしている。
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