トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

登録有形文化財のトレッスル橋、信貴山の開運橋

2017年05月04日 | 日記

冬にJR山陰本線の”秘境駅”、餘部駅を訪ねました(「JR山陰本線の”秘境駅”餘部駅」2017年1月14日の日記)。写真は、その餘部駅に接するようにあった2代目の余部(あまるべ)橋梁です。平成22(2010)年8月12日に供用が始まりました。その一部に赤い塗装の部分があります。これは、日本最長のトレッスル橋として知られた初代の余部橋梁(長さ309m)の一部を復元したものです。余部橋梁と聞いて思い出すのが、昭和61(1986)年12月28日の13時15分頃に起きた、回送中の団体臨時列車”みやび”の転落事故のことです。その事故から24年後の平成22(2010)年7月16日、初代餘部橋梁は供用を終了しました。

「ウイキペディア」によれば、平成23(2011)年現在、かつての余部橋梁に代わって南阿蘇鉄道の立野橋梁(長さ136.8m)が、道路橋では旧国道4号の青岩橋(長さ189m)が、トレッスル橋として最長の橋梁だといわれています。写真は、開運橋(かいうんきょう)です。奈良県の信貴山門駅と朝護孫子寺の間にある大門池に架かっている橋です。この橋も、トレッスル橋として知られています。この日は、トレッスル橋で登録有形文化財に登録されている開運橋を訪ねることにしました。

近鉄の鶴橋駅から”大阪・山田線”で河内山本駅へ。そこから近鉄信貴線に乗り換えて信貴山口。そして、ケーブルカーに乗り継いで高安山駅。さらに、近鉄バスで、信貴山門バス停まで行くルートです。鶴橋駅で580円のキップを購入しました。河内山本駅です。

向かいのホームから、近鉄信貴線の電車に乗車します。信貴山口駅まで2.8km。昭和5(1930)年12月25日に、大阪電気軌道(後に近鉄となる)によって開業しました。信貴山朝護孫子寺の西側のルートとして、信貴山電気鉄道の鋼索線(現・西信貴ケーブル)と山上鉄道線(現・近鉄バスの信貴山門バス停まで)とともに開業しました。2両編成で、近鉄信貴線内の折り返し運転をしています。

2両編成(1432号車・1532号車)の電車で5分、頭端式の信貴山口駅に着きました。大きな上屋に覆われている駅です。

西信貴ケーブルの案内にしたがって、下車して進み左に進むと、西信貴ケーブルの乗り場があります。高安山駅まで、7分で上がるようです。西信貴ケーブルは朝夕は30分ごと、日中は40分ごとに運行されています。待ち時間がたっぷりありました。ケーブルカーを楽しむことにしました。

ケーブルカーの乗り場に向かってスロープ状の通りを上っていきます。黄色いケーブルカー”ずいうん”です。ケーブルでつながっているもう一つの車両は”しょううん”です。先ほど書きましたが、昭和5(1930)年に信貴山電気鉄道(その後、昭和6=1931年に信貴山急行電鉄と改称、昭和19=1944年に近鉄に合併)によって開業しましたが、太平洋戦争の戦況の悪化により、昭和19(1944)年4月1日に営業停止となり、施設も撤去されました。

復活したのは、昭和32(1957)年のことでした。近鉄信貴鋼索線として復活し、山上線はバス路線として営業を再開しました。待機していた”ずいうん”号です。イエローの車体に”しぎとらくん”が描かれています。信貴山朝護孫子寺は、この後書きますが、「寅」に深い縁のあるところなのです。

これは、ケーブルの側面にあったプレートです。昭和32年に復活してから、今年で60年になりますが、車両も復活したときにデビューしたもののようですね。還暦を迎えた車両が現役で頑張っています。車両はコ7形。最大乗車人員171人、自重12.0トンです。終点の高安山(たかやすやま)駅の標高は420mですから、高低差354m、距離にして1,263mを、時速11.7kmで7分かけて登って行きます。
  
スロープの脇にあった勾配標です。この地点の勾配は169.5‰(パーミル)です。右側は、構内にあった説明板です。登るにしたがって勾配がきつくなり、最後は480‰。最大(急?)勾配は480‰(1000m進んで480m登る勾配)になっています。

ここで、ケーブルカーに描かれている「寅」と信貴山朝護孫子寺の関わりをまとめておきます。写真は朝護孫子寺の本堂です。毘沙門天王が祀られています。また、真っ暗な闇をたどる戒壇(かいだん)めぐりの戒壇が本堂の地下につくられています。

信貴山朝護孫子寺は聖徳太子が開祖であるという伝説があります。それによれば、聖徳太子が物部守屋を討つための移動中、この山で戦勝祈願をしたとき、毘沙門天王が突如出現し必勝の秘法を授かったそうです。そのときが、奇しくも寅の年、寅の日、寅の刻だったそうです。その後、太子は見事に物部守屋を討ち果たし、伽藍を創建し「信貴山」(信ずべし・貴ぶべき山)と名づけたそうです。この伝説により、信貴山の毘沙門天王は、寅に縁のある神として信仰を集めているそうです。そのため、阪神タイガースの選手が必勝祈願に訪れるところともなっています。これは、朝護孫子寺の赤門の前にある”大寅”です。そして、赤門には「毘沙門天王日本最初出現霊場 聖徳太子御遺跡第二十番霊場」と書かれています。寅と朝護孫子寺とのかかわりが、強く感じられます。

”ずいうん”の内部です。171人乗りのケーブルカーです。天井には扇風機が設置されていました。

出発です。中間地点ですれ違った”しょううん”です。西信貴ケーブルには、前方に貨車を連結する設備がついているそうです。

高安山駅に着きました。正面の建物の中でケーブルの操作をされる方の姿が見えました。階段を上って出口に向かいます。

外から見た、ケーブルの高安山駅舎です。

駅前のバス停から、信貴山門バス停に行く近鉄バスに乗り継ぎます。このルートはかつての信貴山電鉄の山上鉄道線(2.1km)の跡地にあたります。太平洋戦争中に営業停止となり、施設も撤去されました。そして、昭和32(1952)年、ケーブルカーの復活に合わせて、バスの運行が始まりました。

信貴山門バス停から、信貴山朝護孫子寺に向かって歩きます。桜の季節から青葉の季節になった信貴山です。アーケードの先を左折して進むと、信貴山観光ホテルに突き当たります。

信貴山観光ホテルの前を右折して進むと、すぐに”お食事処 松月”です。左折すると、めざす開運橋に着きます。

開運橋です。入口の車止めにも寅のデザインが使われています。開運橋は、手前の奈良県生駒郡三郷町と向こう側の奈良県生駒郡平群町の間にある大門池に架かっています。信貴山にお詣りするためには、池の周りを迂回しなければならない不便を解消するために、昭和6(1931)年12月に、旧橋梁株式会社の社長さんが、開運橋を建設し信貴山朝護孫子寺に寄進したということです。

開運橋から見た開運大橋。車でやってきた人は、この橋を利用して朝護孫子寺に向かいます。開運橋は、すでに、主役の座を開運大橋に譲っているようです。

これは、開運大橋から撮影した、トレッスル橋の開運橋です。「トレッスル」とは「架台」とか「うま」という意味で、橋桁を支える橋脚が鉄骨を組み合わせてつくられていることに特色があります。橋梁を陸上に築く場合には、使用する部材が少なくてすむというメリットがあるそうです。正面にある白い建物は、開運橋に来るときに通った信貴山温泉・信貴山観光ホテルです。

これは、開運橋を渡った先にあった案内板です。開運橋は、平成19(2007)年に、文化庁の登録有形文化財に登録されました。我が国に現存する最古の”カンチレバー橋”であることとトレッスル橋であることが、登録に大きく影響したと説明されていました。

案内板の説明です。それによれば、開運橋は、長さ106m、幅4.2m。トレッスル構造の橋脚が2基、コンクリート造りの橋台が両端にあるという構造になっています。また、橋桁の構造は三角形を組み合わせたトラス式。橋桁の上面を通る上路式の構造です。ちなみに、2つの橋脚の間は105.75mあるそうです。説明の中に黒い三角形で示されたところには「支点」と書かれています。

橋は橋脚と両端の橋台によって支えられていますが、その支えられている点を「支点」と呼んでいるそうです。写真では、橋脚から湾曲してきた橋桁の下部が水平になる、右側の橋桁の下の部分が「支点」にあたるところのようです。

これは、生駒郡三郷町の側の橋脚です。細長い鋼製の部材をトラス状(三角形が基本の構造)に組み立てた骨組みでできた橋脚になっています。これが、トレッスル橋と呼ばれる構造です。

登録有形文化財に登録される大きな要因になった「上路カンチレバー橋で、現存する最古のもの」についてですが、橋桁の構造が、ちょうどプールの飛び込み台のようになっている「片持ち梁(かたもちはり)」のことです。梁(はり)の両端の一方が固定され、他の一方は固定されていない構造体のことをいうそうです。連続した橋桁の途中に鉛直方向に回転が自由なピンを用いて、隣の橋桁を支える構造になっている橋梁のことです。この構造は経済的にできるため、以前は多く建造されたそうです。開運橋は、現存する「上路カンチレバー橋」の中で最古のものであることが評価されたそうです。

トレッスル橋とカンチレバー橋で登録有形文化財に登録されている開運橋は、橋梁会社の社長さんが寄進された橋でした。現在では、橋の中央に、「バンジージャンプ」の体験ができる設備がつくられていました。勇気ある若い人たちが、橋の上から池に向かってジャンプしていました。

距離的には、長くはなかったのですが、近鉄の電車、ケーブルカー、近鉄バスを乗り継いだため、ずいぶん遠くに来たような印象でした。私自身が、構造物より乗り物が好きだからでしょうか、開運橋よりも西信貴ケーブルの方が、印象に残った旅でした。
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