トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

日本で2番目に古い現存駅舎、JR善通寺駅

2017年04月21日 | 日記
現在、日本にある現役駅舎の中で、最古のものは、明治19(1886)年に開業したJR武豊線の亀崎駅舎だといわれています。現在の東海道線が開通したときに開業しました。しかし、この駅舎は再建されているという説もあり、その場合には、JR土讃線の善通寺駅だといわれています。このところ、明治20年代に開業した現役駅舎を訪ねています。これまで、明治27(1894)年に開業したJR播但線の香呂駅(こうろえき・「明治27年開業のJR播但線の2つの駅舎(2)JR香呂駅舎」2017年3月24日の日記)と鶴居駅(つるいえき・「明治27年開業のJR播但線の2つの駅舎(1)JR鶴居駅舎」2017年3月17日の日記))、明治29(1896)年に開業したJR奈良線の木幡駅(こはたえき・「明治29年の建物財産票のある駅、JR木幡駅」2017年3月31日の日記))を訪ねてきました。今回は、日本で2番目に古い現役駅舎、JR善通寺駅を訪ねることにしました。

現在のJR善通寺駅です。明治22(1889)年5月23日、讃岐鉄道の吉田駅として開業しました。そして、約1ヶ月後の6月15日、現在の善通寺駅に改称されました。以来、120年余の年月、鉄道を利用する人を迎えています。讃岐鉄道として開業した鉄道は、山陽鉄道に買収された後、明治39(1906)年に国有化されました。そして、国鉄の分割民営化(昭和62=1987年)によりJR土讃線となりました。

JR土讃線が予讃線から分岐するJR多度津駅から、土讃線に入って2駅目JR善通寺駅に着きました。金蔵寺駅から2.3km。次の琴平駅まで5.3kmのところにあります。駅舎は善通寺市文京町一丁目にありました。

到着したのは善通寺駅の2番ホームでした。乗降が終わっても出発しないので行き違いがあるようだと思ったとき、駅舎寄りの1番ホームに、岡山駅行きの特急”南風”が入ってきました。善通寺駅のホームは2面3線になっていますが、駅舎寄りの1番線が上下線とも本線となる、いわゆる”1面スルー”になっています。2番ホームは、行き違いがある時の琴平・阿波池田方面行きの下り列車が使用することになっているようです。

乗車してきた列車が次の琴平駅に向かって出発していった後の2番ホームです。「弘法大師誕生の地」と書かれています。善通寺駅は、その名のとおり、弘法大師空海が、弘化4(813)年6月15日に落慶法要を行った五岳山善通寺に由来しています。

琴平駅・阿波池田駅方面です。土讃線は全線単線で、次の琴平駅までが電化区間になっています。

2番ホームから見た多度津駅方面。ホームへの移動には跨線橋を使用するようになっています。

多度津駅方面に向かって、3番線を撮影しました。今は使用されていませんが、側線ともう一つのホームの跡が残っていました。

跨線橋を渡って、駅舎に接した1番ホームに来ました。改札口です。金属製の仕切りが設置されています。自動改札が導入されていない善通寺駅では改札口の脇に駅スタッフが勤務するスペースが設けられています。

改札口の先の跨線橋に近いスペースです。屋根の構造物の機能美が見事です。ゆとりある広々としたスペースになっています。この日は休日でしたが、乗客もさほど多くはありませんでした。ちなみに、この駅の1日平均の乗車人員は1,801人だそうです。

改札口から駅舎に入ります。上にあった看板には、駅舎や市の名前の由来になった五岳山善通寺の五重塔と自衛隊のレンガ倉庫が描かれています。

駅舎内から見た1番ホームです。ちょうど、このとき、岡山駅行きの特急”南風”が到着しました。

駅舎内の半分を占めるのが、セブンーイレブン。現在、JR四国の主要駅で店舗を展開中です。

改札口に続くみどりの窓口と自動券売機。壁面には運賃表、時刻表。コインロッカーも設置されています。

セブンーイレブンの前に設置されていた待合いのスペースです。

土讃線の時刻表です。赤で表示されているのは特急列車です。普通列車も含めて、1時間に3~4本運行されています。

駅舎から外へ出ます。駅舎の本屋の入口の柱の上に「建物財産標」を見つけました。旧日本国有鉄道(国鉄)が建設した様々な建物を用途ごとに分類し、使用開始時期を示したものです。右側の柱の上部に白く見えているところに貼ってありました。「標」は「票」とも表記されています。

これが、その「建物財産標」です。「鉄 本屋1号  明治22年3月30日」と書かれています。しかし、駅舎の建物は、120年を超える歴史があることを忘れるぐらい改修がなされています。

外部から見た駅舎の全景です。寄棟造り瓦葺き、木造の平屋建ての本屋から、切妻造りの車寄せのポーチが張り出しています。大正11(1922)年に、この地で行われた陸軍大演習の際に増築した和洋折衷の木造駅舎です。

車寄せの部分です。善通寺駅は、平成8(1996)年、文化庁の登録有形文化財に登録されています。建物財産標に記されているように、明治22(1889)年に建設された駅舎が、大正11(1922)年の陸軍大演習のときに改修されているのが、現在の駅舎ということなのでしょう。

車寄せポーチです。近くから見ると、太い柱がたくましい、重量感あふれる建物という印象です。

木造の柱と基礎の部分を撮影しました。柱の基礎の部分は、見えない部分と鉄製の金属でつながっていて、安定を図っているようです。

善通寺駅からまっすぐ西に延びる道路は、善通寺市のメインルートです。善通寺市役所、市民会館、四国学院大学などの主要な施設が道路沿いに並んでいます。20分ほどで、善通寺市のシンボルである真言宗善通寺派総本山”五岳山善通寺”の南大門前に着きます。四国八十八ヶ所霊場の75番札所。この日も白い巡礼衣装で杖を手にしたお遍路さんの姿がありました。

正面には善通寺の南大門と、その先にある金堂(本堂)。右側に五重塔が見えました。宝亀5(774)年6月16日、弘法大師・空海は、父、佐伯直田公(さえきのあたいのたぎみ)と母、玉寄御前(たまよりごぜん)の子として、この地に生まれました。現在、善通寺の西院が建つ所には佐伯家の邸宅があったようです。

善通寺の南大門から南にまっすぐ下ったところに、大正11(1922)年、陸軍大演習が行われた、旧陸軍第十四旅団が置かれていました。

南大門から20分ぐらいで、右側にレンガでつくられた倉庫が見え始めました。通りの左側には施設の正門が見えました。陸上自衛隊の「第十五普通科連隊」「第十四後方支援隊」「善通寺駐屯地業務隊」の基地でした。その中に、旧陸軍「第十四旅団」と書かれた門も残っていました。

舗道の先に、善通寺の五重塔が見えました。善通寺駅の改札口のところに飾られていた絵と同じ構図でした。柳並木は時期がやや早い感じでしたが・・。また、以前訪ねた広島市にあった旧陸軍施設の赤レンガ倉庫(「着工から17日で開業・旧宇品線の面影を求めて」2014年2月15日の日記・「宇品に残る宇品線の時代のゆかりの地を訪ねて」2014年3月2日の日記)を思い出しました。


明治20年代に開業して以来、120年間余り現役を続けている駅舎、JR香呂駅舎、JR鶴居駅舎、JR木幡駅舎、JR善通寺駅舎の一つ、その中でも最古の、日本全体でも2番目に古いJR善通寺駅を訪ねてきました。いづれの駅舎も、現在も多くの乗降客に利用されている現役の駅舎として活躍していました。しかし、現役を続けるためにこれまで幾たびもの改修を繰り返しており、建設当時の面影を残すところを見つけるのは難しいことでした。その中で、JR善通寺駅は、「建設後、50年を経過し、①国土の歴史的景観に寄与しているもの ②造形の規範となっているもの ③再現することが容易でないもの」の①から③までのいずれかに該当するものが登録される「有形登録文化財」に登録されている駅舎でした。大正時代の面影を残す由緒正しい駅舎でした。  















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