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◆谷底にあるミルトスの木……。

2017年09月26日 07時18分29秒 | 聖書
(ゼカリヤ一・八)
この章の幻は、ゼカリヤの時代のイスラエルの状態を記したものである。しかし、私たちに対する意義を考えるなら、今日の世にある神の教会について述べていると言えるだろう。
教会は谷底に繁茂するミルトスの木にたとえられる。心を留めて見ないと、それは隠れていて人目につかず、誉れを求めようともしないし、また注意をひこうともしない。教会は、そのかしらである主のように栄光をもつ。しかしその栄光は肉の目からは隠されている。教会がそのすべての光彩を放つ時は、まだ来ていないからである。
またこの聖句によって、私たちは平安を教えられる。それはあらしがどれほど山頂に吹きつけようとも、谷底のミルトスの木は静かだからである。ごつごつした岩の多いアルプスの高峰で暴風雨が猛威をふるう時も、神の都を喜ばせる川の流れる谷間では、静かな岸辺にミルトスの木が茂り、猛烈な風にも揺れ動くことはない。神の教会の内部の平静はなんとすばらしいものか。反対があり迫害があっても、教会はこの世の与えることのできない、またこの世によっては奪われることのない平安をもっている。人のすべての考えにまさる神の平安が、神の民の心と思いとを守っている。
この幻は、聖徒たちの平和な不断の成長を力強く表してはいないだろうか。ミルトスの木は落葉樹ではなく常緑樹である。そして教会も、最悪の事態に立ち至ってもなお幸いな恵みの緑を失わない。否、厳寒が来れば来るほど、ますますその緑を濃くする。最も厳しい逆境の時に、教会は最も繁栄した。
それゆえ、この聖句は勝利を暗示する。ミルトスの木は平和の象徴であり、かつ勝利を暗示する。勝利者の額はミルトスの木や月桂樹をもって飾られた。そして教会も常に勝利してはいなかったか。すべてのクリスチャンは、自分を愛してくださった方によって、圧倒的な勝利者となるのではないだろうか。聖徒たちは生きている時は平和の中におり、死んでからは勝利の腕の中に眠る者ではないだろうか。
 
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