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◆それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、

2017年02月12日 08時28分24秒 | 聖書
慰めもまたキリストによってあふれているからです。(Ⅱコリント一・五)
ここに天の調和がある。摂理の支配者が一つのはかりを持っておられる。一方の皿には神の民の試みが、他方の皿には慰めが入れられている。試みの皿がほとんどからになった時、慰めの皿も同様にほとんどからになり、試みの皿が満ちている時には、慰めの皿も重くなる。黒雲がむらがっている時には、光がいつもよりはっきり見える。日が没し、暴風がやって来ようとしている時、天の船長は乗組員に最も近い所におられる。私たちが最も落胆している時こそ、聖霊の慰めによって高められることは、なんという祝福であろう。
その理由の一つは、試み自体が慰めを入れる余地を作るからである。偉大な心は、大いなる悩みによってのみ作られ、悩みのくわは慰めの溜め池を深く掘り下げて、さらに多くの慰めがたたえられる余地を作る。神が私たちの心に来られ、それがいっぱいであるのをご覧になると、私たちの慰めを砕いてそれをからにされる。そうして恵みを入れる余地が作られる。人は謙遜になればなるほど多くの慰めを受ける。慰めを受けるのに適した状態となるからである。
私たちが悩みの中にいて最も幸福であるもう一つの理由は、私たちが親しく神と相談を始めるからである。倉が満ちている時には人は神なしに生活し、財布が金ではち切れそうな時には祈りなしに暮らそうとする。しかし、ヨナのように一度とうごまが取り去られると、私たちは神を求める。家の中の偶像が取り去られると、私たちは主をあがめないわけにいかなくなる。谷底から来る叫び声ほど聞こえやすいものはないように、深い試みと苦悩にあるたましいの奥底から来る祈りほど、力強いものはない。それが私たちを神のみもとへ伴っていき、私たちを幸福にする。なぜなら、神の近くにあることは幸福だからである。
悩める信者よ、来れ。あなたの重荷のためにいらだってはならない。なぜなら、それは深いあわれみの来る前ぶれだからである。
 
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