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◆主よ。あなたは、私のたましいの訴えを弁護して……

2016年11月20日 09時59分23秒 | 聖書
くださいました。(哀歌三・五八)
ここで預言者があからさまに語っていることに心せよ。彼は、「主が私の訴えを弁護してくださることを望む」とか、信じるとか、思うとか言っているのではない。彼は議論の余地のない事実として、「あなたは、私のたましいの訴えを弁護してくださいました」と断言している。私たちは主の助けによって、自分の平和や慰めを完全に破壊する、祈りについての疑いや恐れを打ち払おうではないか。私たちは推測や疑いの耳ざわりな声で祈るのではなく、確信に満ちた美しい声で祈ろう。
ここで預言者がいかに感謝に満たされて、すべての栄光を神にのみ帰しているかを見よ。あなたは、預言者が自分自身のことを一言も述べていないことを見るであろう。彼は自分の救いを、自分自身はもちろん他の何もののいさおしによるともしていない。「主よ。あなたは、私のたましいの訴えを弁護して、私のいのちを贖ってくださいました」と述べて、栄光を主に帰している。クリスチャンは感謝の精神を養うべきであり、特に救われて後、神に感謝の歌をささげなければならない。地は聖徒たちの感謝の歌で満たされた宮であり、日々麗しい感謝の香りを放つ香炉でなければならない。
エレミヤは、なんと喜びにあふれて主のあわれみを記していることだろう。なんと彼は勝利に満ちていることか。彼は今日でも涙の預言者として知られているように、深い穴の中に入れられていた。しかし、それにもかかわらず、「哀歌」と呼ばれているこの書の中で、私たちはミリヤムがタンバリンを手に取って歌った歌のように明るく、またデボラが勝利の叫びをもってバラクを迎えた時の歌のように鋭く、「主よ。あなたは、私のたましいの訴えを弁護して、私のいのちを贖ってくださいました」という、天に上っていくエレミヤの声を聞く。
おお、神の子たちよ。主のいつくしみの生きた経験を求めよ。そしてそれを得たならば、明白に言い表し、感謝の心をもって歌い、勝利の歓声を上げよ。
 
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