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◆私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。

2017年05月16日 06時43分19秒 | 聖書
(Ⅰテモテ六・一七)
私たちの主イエスは常に与えてくださる。一瞬でもその御手を引かれることはない。主は常に輝く太陽であり、宿営の周囲に降り注ぐマナである。またその打たれた脇腹より絶えずいのちの流れを注ぎ出している荒野の岩である。主の恵みの雨は降り続き、その寛大な川は尽きることなく流れ、その愛の泉はこんこんとわいて尽きない。
主は決して死ぬことのない王であるが、その恵みも決してとだえることはない。私たちは日ごとに主の恵みの果物を取って食べる。そして日ごとにその枝は恵みの実を豊かに結び、私たちの目の前にたれ下がる。主の一週間は七日とも豊作であり、一年中通しての祝宴である。主からの祝福を受けることなく玄関払いされた者が一人でもあるだろうか。空腹のまま食事が下げられ、心ゆくまで楽しむことなく、主のふところから追い出された者が一人でもあるだろうか。
その恵みは、朝ごとに新たであり、夕ごとに改められる。だれが主の恵みの数を知り、その賜物の内容を極めることができようか。刻々と落ちる砂時計の砂でさえも、主の恵みの豊かさを表現できない。私たちの時の翼は、主のいつくしみの銀に包まれ、主の愛の黄金におおわれている。永遠の山から流れ出る時という川は、主の恵みの砂金を運ぶ。数えきれない星は、無限の祝福のごく一部分を代表するにすぎない。
だれがあのヤコブに与えられた真砂のような恩寵を数え、あのイスラエルに示されたあわれみの一部でも言い尽くすことができよう。日ごとに、身に余る恵みを私に与え、いつくしみで私を囲まれる主を、私はどのようにしてほめたたえることができるのだろうか。
ああ、私の賛美が主の恵みのように絶え間なくわき出るように。あわれな私の舌よ。なぜおまえは沈黙しているのか。おまえに懇願する。目を覚ませ。そうでなければ、おまえは私の光栄ではなく恥辱である。
「私のたましいよ。目をさませ。十弦の琴よ。立琴よ、目をさませ。私は暁を呼びさましたい。」
 
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