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◆わたしもその人を愛し、

2017年05月12日 10時09分10秒 | 聖書
わたし自身を彼に現わします。(ヨハネ一四・二一)
主イエスはその民のため特別にご自身を啓示される。仮にこのことが聖書に書かれていないとしても、自らの体験からこの真理を実証できる多くの神の子たちがいる。主が、筆やことばをもって表現できない特別な方法で、彼らにご自身を現されたのである。
有名な聖徒の伝記に、イエスが特別な方法で彼らのたましいに語りかけ、その驚くべきご人格を彼らの前に示された多くの実例を見ることができる。彼らのたましいは、無上の幸福にひたり、さながら天国にあるかのように思った。事実天国に入ってはいなかったが、その門口にいたのである。なぜなら、イエスがご自身をその民に現される時、それは地上の天国であり、楽園の胚芽であり、祝福の初めであるからである。
キリストが特別にご自身を現されることにより、信者の心に神聖な感化が与えられる。その一つは謙遜である。もしだれかが「私はこれこれの霊的な経験をした。私は偉大な人物である」と言うならば、その人は実はイエスとは没交渉なのである。なぜなら、「主は……低い者を顧みてくださいます。しかし、高ぶる者を遠くから見抜かれます」と記されているからである。神は彼らを知るために近づかれる必要はなく、したがって愛のことばをおかけにならない。
もう一つの結果は幸福である。なぜなら神のいます所には、尽きない喜びがあるからである。聖潔もまた、必然的にもたらされる結果である。聖潔をもたない人は、この神の顕現に接した者ではない。ある人は大言壮語する。しかし、私たちは、口先のみで行いの伴わない者を信じてはいけない。
「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。」神は悪い者の上にその恵みを注がれることはない。神は、全き人を捨てられることはないが、悪を行う者は尊ばれない。
以上述べたように、主に近づいた結果、三つのもの――謙遜、幸福、聖潔がもたらされる。神があなたがたにこれらのものを与えてくださるように。
 
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