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「道々お話になっている間も、聖書を説明してくださった間も、

2017年05月12日 16時42分12秒 | 聖書

私たちの心はうちに燃えていたではないか」(ルカ24:32)

エマオ途上の弟子たちは、失望と落胆で、郷里に向かっていた。
自分たちの思いと違ったのだ。主はローマ帝国をくつがえして、主の王国を樹立されると思い込んでいた。

その主が一番惨めで哀れで、辱めの十字架刑で死んでしまわれた。
絶望の思いで、なすすべなく郷里へ、とぼとぼ歩いていた。
自分の思いが強いと、主のお言葉や現実をそのまま受け止める事ができない。

種まきの例えの、道ばたの土地だ。
地が固くて、種をシャットアウトし、跳ね返してしまう。聖書を読む時も同様だ。
御言葉に向かう時に、自分の強い願望を持ったまま向かうと、その願望にそった、自分勝手な聖書解釈をしてしまう。

この世の宗教、偶像は、自分の願望を叶えて貰うためのものだ。
家内安全、商売繁盛、無病息災・・、そして自分の願望が叶わない時、不満で一杯になり疑問を持つ。
そんな神は要らない。

私たちもご利益だけを求めるなら、当然叶わない時に失望落胆する事、間違い無しだ。
そうでなく、私たちは「神の」お心を行なうために生きている。
その時、真の喜び、満たしがある。
聖書に自分の願望を投影して、御言葉を読み取るのでなく、神からの語りかけを聞く時に、弟子たちのように心が燃えて来る。

導き、知恵、力、支えが与えられる。
自分の思いを一旦明け渡して、白紙にして、御声を聞いてみよう。
神に期待を置くなら、自分の思いが成らなくとも、真の喜びと楽しみを持って生きる事ができる。

--------------
自分の思いが強いため、神が見えなくなっていないか。
しばしば自分の思いが妨げとなっている。それに気づく事から始まる。
自分の思いに立つのでなく、神の御心に従おうとの思いの中で、必ず神がわかり、御声が聞こえて来る。


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