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◆サラは言った。

2017年06月15日 06時12分46秒 | 聖書
「神は私を笑われました。聞く者はみな、私に向かって笑うでしょう」(創世二一・六)
年老いたサラが子どもを与えられるということは、実に自然の力をはるかに超えたことであり、自然法則にもとることでさえあった。
同じように、私のような卑しい無力な落ちぶれた罪人が、たましいの中に主イエスの御霊を宿すということは、とうてい常識の及ぶところではない。私はかつて絶望していた。そのうえ私の本性は、渇き、枯れ、実を結ばず、呪われた、寂しい荒野のようであった。しかるに、私は聖潔の実を結ぶようにされた。私の口が喜びの笑いに満たされたのは当然である。なぜなら、私は主なる神より驚くべき恵みを受けたからである。私は約束された種子なるキリストを見いだした。主は永遠に私のものである。私が卑しい折りにもみこころをとめてくださった主に、今日勝利の賛美を歌おう。なぜなら「私の心は主を誇り、私の角は主によって高く上がります。私の口は敵に向かって大きく開きます。私はあなたの救いを喜ぶから」である。
私が地獄より救い出されたことを聞き、上よりの恵みを受けたことを知るすべての者は、私と共に喜び、笑ってほしい。私は、自分の豊かな平安をもって家族を驚かせ、ますます栄えていく幸いをもって友を楽しませたい。私は感謝の告白をもって教会を啓発し、喜びに満たされた日々の会話によって、この世にさえ感銘を与えたい。
バニヤンは、『天路歴程』の中で「慈悲子」が眠りの中で笑ったと言っているが、イエスの夢を見ていたのだから無理もない。私にとって、日々の黙想の中心は愛する御子であるから、私の喜びもこの「慈悲子」に劣るものではない。主イエスは喜びの深い海であられる。私のたましいはその中に飛び込み、主との交わりの楽しさの中に浸るだろう。サラはイサクを見て、歓喜にあふれて笑い、彼女の友もみな笑った。私のたましいよ。おまえのイエスを見よ。そして天と地に命じよ。おまえの言いようのない喜びに共鳴することを。
 
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