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◆神と交わりがある……。

2017年11月23日 07時03分41秒 | 聖書
(Ⅰヨハネ一・六)
信仰によってキリストに結び合わされた時、私たちはキリストとの完全な交わりに入る。その時、主と私たちの関心事が共通となる。
私たちはキリストの愛において主と交わる。キリストが愛される者を、私たちもまた愛する。主は聖徒を愛し、罪人を愛し、また滅びようとするあわれな人類を愛して、この地上の荒野が主の花園に変わることを求められる。私たちもそうである。
さらに、私たちはキリストの願いにおいて主と交わる。主は神の栄光を望んでおられる。私たちもまたそのために労する。主は、聖徒たちが主のおられるところでご自身と共におることをお望みになる。私たちもまた、そこで主と共におることを願う。主は罪の駆逐を望まれる。主は御父の御名がすべての被造物によって愛され、あがめられることをお望みになる。私たちも日々、「御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように」と祈る。
私たちは、キリストの苦難において主と交わる。私たちは十字架につけられてはおらず、無残な死を遂げると定まってもいない。しかし主が非難を受ける時、私たちも非難される。主に従うという理由で非難され軽蔑されて、この世を敵にまわすのはすばらしいことである。弟子はその師にまさるものではない。
私たちはそれぞれ分に応じて主の働きをすることによって主と交わり、真理のことばと愛の行為をもって人々に奉仕をする。私たちの食物、飲み物は、主と同じように、私たちを遣わされた方のみこころをなし、そのみわざを完成することである。
私たちは、キリストの喜びにおいて主と交わる。主の幸福の中にあって幸福である私たちは、主のあがめられることを喜ぶ。この世では、キリストの喜びを私たちのうちに満ちあふれさせる以上に、きよく心を感動させる喜びはない。
主の栄光は、私たちの交わりを完成しようとして待っている。やがて主の教会は、愛される花嫁また王妃として、主とともに御座に着くのである。
 
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