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◆その死によって、

2017年04月20日 06時13分01秒 | 聖書
悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし……。(ヘブル二・一四)
神の子たちよ。死を支配する悪魔の力が滅ぼされたため、死はとげを失った。ゆえに死を恐れてはならない。あなたは贖い主の死の深い意味を悟り、確固たる信仰を保ち、死の訪れる時強められるように聖霊なる神の恵みを求めよ。カルバリの十字架の近くに住むならば、あなたは死を考えることを喜びとし、激しい歓喜をもってそれを迎えるだろう。主にあって死ぬことはすばらしい。イエスにあって眠ることは契約された祝福である。もはや死は追放ではなく、流刑より召還されて、愛する者たちが住む多くの住まいのある故郷へ帰ることである。
天で栄光を受けているたましいと、地上で戦う聖徒たちの距離は遠いように見えるが、実はそうではない。私たちは故郷を遠く離れているのではなく、またたく間にそこへ着くことができるのである。帆を高く上げてたましいは深い海に乗り出した。航海はいつまでかかるのであろうか。平和の港に着くまでに、帆は幾たび、のろのろと風に吹かれなければならないのか。たましいがあらしを知らない海に着くまでには、幾たび怒濤にもまれなければならないのか。しかしその答えはこうである。「肉体を離れて、主のみもとにいる。」出帆するやいなや船は目的の港に着く。帆を上げるいとまもなく、かしこへ入港する。昔ガリラヤ湖に浮かんだ舟のように、それは暴風にもてあそばれるが、イエスが「黙れ、静まれ」と言われると、ただちに陸に着くのである。死の瞬間と栄光に輝く永遠との問に、長い期間があると思うな。目は地で閉じられるとともに、天で開かれる。火の馬は道草しない。
だから、ああ、神の子たちよ。あなたの主の死により死ののろいととげが滅ぼされた以上、どこに死を恐れる理由があろうか。ヤコブのはしごのように、足は暗い墓の中にあっても、その頂は永遠の栄光につながっているのだ。
 
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