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今日の聖人の記念日

2016年10月16日 08時31分11秒 | キリスト教

聖マルガリタ・マリア・アラコクおとめ

1647年-1690年

 マルガリタは、フランスのブルゴーニュのロトクールに裁判官の娘として生まれた。8歳のときに父を亡くし、修道院で教育され、彼女も修道女となることを望んだが、11歳のときに重い病にかかり、家に戻って4年間の闘病生活を送った。22歳のころに、いくつかの縁談が持ち上がったが、マルガリタは修道者となることを選び、1671年にパレーの訪問修道会に入った。彼女はどちらかというと、動きが人よりも鈍く、いろいろな面で苦しんだが、忍耐深く修行した。

 1673年に、彼女が祈っているとキリストが現われ、「ごらんなさい。人びとを愛するために多くの苦痛を忍んだわたしの心を。それなのに多くの人びとは、この愛に対して冷淡で、受けた恵みを忘れています」と言われ、「み心の信心」を広めるように命じられた。初めは、多くの反対にあったが、次第に「み心の信心」は広まり、マルガリタの死後、この信心は全世界に広がった。1856年、教皇ピオ9 世によって「み心の祝日」が定められた。

聖ヘドビッヒ修道女

1174年-1243年

 ヘドビッヒは、ドイツのアンデックス出身で、ダルマチア(現在のクロアチア)の侯爵の家に生まれた。彼女はハンガリーの聖エリザベト(11月17日)の叔母に当たる。12歳のとき、ヘドビッヒはシレジア(現在のポーランド南西部からチェコ北東部)の侯爵であり、ポーランドの王家の家長であるヘンリー1世と結婚した。幸せな結婚生活を送ったが、7人の子どものうち、3人は幼いとき、1人は落馬して亡くなった。

 彼女の敬虔さ、賢明さは国の政治にも影響を与え、当時の周辺国における権力争いを憂い、ヨーロッパに平和が訪れるよう尽力した。またチッテンゲンにシトー会の修道院をはじめ、多くの観想修道会、病院が彼女によって立てられ、こうしてドイツ文化がシレジアに広まった。後に、ヘンリー1世の土地分割に不満だった王子と兄弟の間で争いが起こり、ヘドビッヒの心を痛めた。彼女は、多くの時間を犠牲と祈りにささげ、愛徳のわざを熱心に行った。

 ヘンリー1世が1238年に亡くなると、ヘドビッヒはシトー会の修道院で生活し、修道者ではなかったが、多くの犠牲と自己放棄、病人や貧しい人を助けて隣人愛を実践した。神との親しさを求め、内的生活においても熱心に励んだ彼女は、周囲の人びとから「聖人」と言われるほど模範的な生活を送った。

 彼女は1243年10月15日に修道院で亡くなり、彼女の死後多くの奇跡が起こった。1266年、教皇クレメンス4世によって列聖された。

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