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「互いの栄誉は受けても唯一の神からの

2016年02月18日 17時44分17秒 | 聖書

栄誉を求めないあなたがたはどうして信じることができますか」(ヨハネ5:44)

二つの栄誉を言っている。
人からの栄誉と神からの栄誉だ。
人からの栄誉は、人間同士で受け合うものだ。
人に誉められ、自分が栄光を受ける。
心には優越感なる喜びがあり、自己満足がある。
もう一方は神からの栄誉であり、神から来るので、人には誉められない。
むしろ理解されない。
私たちは、神からの栄誉は欲しいが、肉は人からの栄誉を求めている。
見えない神からの栄誉などよりも、目に見えるものが欲しいのだ。
しかし、どちらもという事はあり得ない。
神の栄誉を求めるなら、人からの誉れはない、人からの評価は得られない。
人の栄誉を求めると、神を犠牲にし、神を無視する事になる。
人の賞賛を求める、肉の欲求は強烈だ。
自分が崇められ、肉の欲が満たされる。
この箇所のユダヤ人達は、御父が御子を遣わしたと言っても受け入れない。
しかし、自分たち同士の事は受け入れ合う。
これは、神の言葉ではなく、自分の思いを土台にする見方に問題があると言われた。
神と神の言葉の上に立つのでなく、どこまでも自分が中心だ。
それは神を愛していないし、神を信じることができないと。
自分が主権を握っているから、自分で取捨選択して、自分の思いを取り、神の言葉を捨てる。
ここが問題であり、この根本的自分中心が砕かれる時に、神を信じ愛して行けると。
自分の土台は御言葉か、それとも自分の思いだろうか。
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み言葉に従うなら、捨てて行かなければならないものがある。
目の前の賞賛に心奪われてしまい、従う方を簡単に捨ててはいないだろうか。

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