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エペソ人への手紙5章5節

2017年08月09日 06時19分36秒 | 聖書


★あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者―これが偶像礼拝者です、―こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。


■O:今日のコラム
キリストと神との御国を相続するためには、条件があります。この箇所にも書かれてある通り、「不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者」は、もちろんのこと相続できません。
また、他の箇所では、

「ところが、相続人というものは、全財産の持ち主なのに、子どものうちは、奴隷と少しも違わず、父の定めた日までは、後見人や管理者の下にあります。」(ガラテヤ4:1-2)

とあるように、聖書では相続人であっても、子どものうちは相続できません。また、相続人の条件がはっきりと書かれた箇所があります。

「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」(ローマ8:16-17)

相続人の条件は、「キリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら」です。

私たちは、恵みによって無条件に救われ神の子とされました。ですが、相続人として相続するためには、成長し成熟していかなければなりません。なぜなら、主と苦難をともにする生き方は、幼子にはできない歩みだからです。人それぞれ、苦難の形は違うと思います。

しかし、私たちが主を愛するがゆえに十字架の道に進むなら、必ず自分に死ぬことを経験し続けます。自分の正しさ、自分の言い分、自分の権利、自分の計画、自分の願いなどに死んで行くことを。

死にまで従われたイエス様は、ことごとく全てを放棄してくれました。私たちも主の足跡についていくなら、どのような時も御言葉によって、人ではなく自分自身が主に取り扱われる機会としていかなければなりません。

人を訴えたい時、自分の正しさや悔しさを主張したい時があります。でも全ての機会を、自分自身の弱さや傷、罪を主に取り扱ってもらう機会とするなら、私たちの内側にキリストが、少しずつかたち造られていくことを経験するでしょう。

私たちが主を愛する者として、妥協や後退したり、成長が止まっているなら、それは問題です。

「ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。死んだ行いからの回心、神に対する信仰、きよめの洗いについての教え、手を置く儀式、死者の復活、とこしえのさばきなど基礎的なことを再びやり直したりしないようにしましょう。」(ヘブル6:1-2)

この御言葉の通り、「死んだ行いからの回心」すなわち、悔い改めへと導かれていく必要があります。全ての機会を「悔い改めるべきは私です。」と導かれていくなら、主が私たちを成熟へと導かれ、天の朽ちることのない相続を持って、報いてくださいます。

「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。」(ローマ8:18)

ハレルヤ!!



■A:考えてみよう
・主の取り扱いを人ではなく、自分が受けているだろうか?
・御言葉によって、自分の歩みを点検しているだろうか?
・つまずいていること、苦味、自分自身の正しさを持ち続けていないだろうか?



■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

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