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◆わたしは、人間の綱、

2017年05月20日 15時51分12秒 | 聖書
愛のきずなで彼らを引いた。(ホセア一一・四)
私たちの天の父は、しばしば愛の綱をもって私たちを引かれる。しかし、ああ、私たちは神のみもとへ走って行くことを、なんと嫌がることであろう。神の優しい督促に応えることが、なんと遅いことであろう。
神は私たちにもっと単純な信仰をもたせるため訓練しようとして、引き寄せられる。しかし、私たちは心遣いを神にゆだねず、マルタのように多くの雑事に心を乱す。私たちの乏しい信仰のため、私たちのたましいはやせ衰え、神が満たすことを約束しておられるのに、口を広く開けようとはしない。
今夜、私たちが神を信頼するために、神は私たちを引いておられる。そして、主は次のように言われる。「来なさい。わが子よ。わたしに信頼しなさい。幕は裂かれている。大胆に、わたしの恵みの座に近づけ。おまえの心遣いをわたしにゆだね、おまえの喜びの衣をまといなさい」と。しかし、ああ、この慰めに満ちた恵みに招かれても、私たちは行こうとはしない。
神はまた、ある時には主との密接な交わりに入れるために、私たちを引いてくださる。私たちは神の家の戸口の段に座り、主が食事を共にするために、宴会の大広間に入れと命じておられるのを聞く。しかし私たちはその名誉ある招待を拒んでいる。私たちに対してまだ開かれていない秘密の部屋がある。イエスはその部屋に入れと招かれる。しかし、私たちはためらう。なんと恥ずべき冷淡さであろう。
私たちは、優しい主イエスへの貧しい献身者にすぎず、そのしもべとしてさえふさわしくない。まして、その花嫁となる資格があろうか。それなのに主は私たちを高めて、主の骨の骨、肉の肉とし、輝かしい結婚の契約をもって私たちをめとられた。ここに愛がある。しかしこの愛は拒絶を許さない。私たちがその優しい引力に従わないならば、主とのさらに親密な関係を与えるために、苦しみを下さる。主は私たちをさらに近くに置くことを望まれる。この愛の綱を拒み、イエスの懲らしめの小さなむちを受けている私たちは、なんと愚かな子どもであろう。
 
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