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ペテロの手紙第二2章8節

2017年04月20日 06時09分11秒 | 聖書


★というのは、この義人は、彼らの間に住んでいましたが、不法な行いを見聞きして、日々その正しい心を痛めていたからです。

■O:今日のコラム
「この義人」とは、前の節から読むと分かるように、アブラハムの甥であるロトのことです。
彼が住んでいたソドムとゴモラという町は、その時代、不義が蔓延していた町でした。創世記18~19章あたりを読むと神様が彼らの罪がきわめて重いがゆえに、その町を滅ぼすことを計画されています。アブラハムが神様と50人から始めて10人までの正しい人がいたら町を滅ぼさないようにと交渉した、その町です。もうご存知でしょうが、結局、正しい人が10人もいなかったがゆえに、その町は完全に滅ぼされました。いわば、ノアの時代と似ている状態だったと思います。

しかし、そこで、救われたのがロトの家族。厳密に言うとロトと二人の娘(妻もと言いたいとこだが、従い続けなかったゆえの裁きがくだったので、救われたとは言い難い。)その救われた理由が今日の箇所です。

ロトが完璧な義人であったとは、言い切れません。しかし、彼は、その不義に満ち溢れる町に住みながら、自分の周りの人々が不法な行いをしているような状況にいながら、そこに自分の手を染めることをしませんでした。多くの誘惑あったと思います。隣近所の人たちから、いろんな悪の誘いもあったかと思いません。

ソドムの人々がロトの家の前に押し寄せてきて、ロトがもてなしていた旅人を引き渡せと言い張った時も、ロトは、まず、自分がその町の人々の前に出て、自分の娘を犠牲にしてまでも、絶対に旅人は引き渡さないし、彼らには手を出さないでほしいと言いました。ロトは、不法の町に住んでいましたが、彼らと同じ歩みをしませんでした。それが、彼の義として認められたのだと思います。(他にも、彼が御使いの言葉に従ったことなどもありますが。)

私たちが今住んでいるこの世も、悪がはびこっているのを見ますし、聞きます。私たちもロトと同じように、不法と隣り合わせに生きています。ソドムとゴモラ状態になっていると私は思います。しかし、私たちは、この世から、イエス様によって贖われ、神の子とされたので、神の子としての歩みを毎日選びとって行く必要があります。その歩みについて凝縮されて書かれている聖書の箇所が、山上の垂訓(マタイ5~7章)。ロトが歩んだように、私たちは、日々、十字架を見上げ、聖霊様の力をもって、どんな誘惑にも負けず、義の道を選び歩み続けて行きましょう。

ペテロがこの章の続き、20節に書いているような者にならないように、私たちは目を覚ましていきましょう。
「主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。」

■A:考えてみよう
ロトは、不法な行いを見聞きし「日々その正しい心を痛めていた」とあります。この所を原文で読むと、まず、「正しい心」は「義の心」になっていて、そして「痛めていた」とは「拷問されてる痛み、ひどく苦しめられる」という意味が含まれています。私たちの心はどうでしょうか?不正がはびこるこの世にあって、私たちの心は、この世に対して呆れてしまっていますか?もう救えっこないって思っていませんか?それとも、無関心になっていませんか?それとも、ロトのように、日々、この世に対して、心を痛めていますか?

私たちは、イエス様を通して、義の心を受け取りました。それは、イエス様の心であり、イエス様の心はこの世に対して痛んでいることを日々感じていますでしょうか?この世にあって、私たちは、この痛んでいるイエス様の心をもって、少しでも多くの人々がこの世から救われることをとりなし祈っていきませんか?日々、義の道を選びその道を歩むと同時に、私たちは心を痛め、人々の救いのためにも共にとりなしていきましょう。

■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

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