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◆信仰の試練……。

2016年11月12日 08時43分03秒 | 聖書
(Ⅰペテロ一・七)
信仰は、試練を受けなくても本物であるかもしれない。しかしそれは弱い信仰である。信仰は試練を受けない限り、発育不全に終わる可能性が大きい。信仰はすべてが非である時に、最も旺盛になる。暴風は信仰を訓練するものであり、稲妻は信仰を啓発するものである。
海が穏やかな時は、たとえあなたが帆を上げたとしても、船は目指す港に進まない。なぜなら、海が眠るならば、船もまた眠るからである。ひとたび風が吹き荒れ、波が起こり立つならば、船は揺れ、甲板は波に洗われ、マストは張りつめた帆のためにきしむ。しかし、その時こそ、船はまっしぐらに目ざす港に向かって突き進むのである。
氷河の縁に咲く花ほど、愛らしい色を帯びたものはなく、極地の空に輝く星ほど明るい光を放つものはなく、また砂漠にわき出る水ほど甘美なものはない。同じように、逆境の中にあって生き、勝利を得た信仰ほど尊いものはない。
試練によって信仰は経験をもたらす。川を横切ることを余儀なくされるまでは、あなたは自分の弱さを認めることができなかったであろう。そしてあなたは大水の中で支えられなければ、決して神の力を知ることもなかったに違いない。信仰は試練によって鍛練されればされるほど、その強さ、確かさ、熱烈さを加える。信仰は尊い。そして、その試練もまた尊いものである。
しかし、このために信仰の若い者が落胆する必要はない。あなたが試練を求めなくても、試練は必ず来る。適当な時に十分に与えられる。それまでは、あなたは深い経験を要求することはできない。しかし、今あなたが受けているだけの恵みを神に感謝せよ。あなたが到達しただけの聖い確信のために神に感謝せよ。この方法によって歩め。そうすれば、あなたはいよいよ神の祝福を受け、ついにあなたの信仰が山を動かし、不可能を征服するに至るであろう。
 
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