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◆その聖書が、

2017年06月10日 17時17分15秒 | 聖書
わたしについて証言しているのです。(ヨハネ五・三九)
イエス・キリストは聖書のアルファでありオメガであられる。その聖なるページは、初めから終わりまで主について証しをする。
天地創造の時において、私たちはすぐ、キリストを聖なる三位一体の一人格として認める。また女の子孫に関する御約束の中で主を見、ノアの箱舟において主が象徴されているのを見る。私たちは、メシヤの日を見たアブラハムとともに歩む。恵み深い約束によって生きていたイサクやヤコブの幕屋の中に住む。また、尊敬すべきイスラエルがシロについて語っているのを聞く。そして、多くの律法の様式の中に、贖い主が至る所に予表されているのを見いだす。預言者も王も祭司も説教者もみな一つの方向を見つめている。彼らはみな、ケルビムが契約の箱の上に立っているように、立ち上がってその中を見ることを欲し、神の大いなる贖いの供え物の奥義を知ることを願う。
新約になると、さらに明らかに、私たちの主が一貫した主題になっていることがわかる。ところどころに金魂がころがっているとか、砂金の粉が薄くまき散らされているとかいうのではない。あなたはしっかりとした純金の床の上に立つ。新約聖書の実質は、すべて十字架にかかられたイエスであり、その最後の文章さえも、贖い主の御名によって飾られているからだ。
私たちは、常に聖書をこの光に照らして読むべきである。みことばを、天におられるキリストの御姿を映す鏡のように考えなければならない。そこをのぞけば主の御顔が鏡で見るように映っている。それはおぼろではあるが、顔と顔とを合わせて主を見まつる時のための幸いな準備である。この書は私たちに対するイエス・キリストの手紙を集めたものであり、主の愛が香り高くにおう。各ページは、私たちの王の着物であり、没薬、アロエ、肉桂の香りを放つ。聖書はイエスが乗られる王の馬車である。その道には、エルサレムの娘たちに対する愛が敷きつめられている。また聖き御子イエスの産着である。それを解けば、あなたは救い主を見いだす。神のみことばの精髄はキリストである。
 
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