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◆見よ。わたしは命じて、ふるいにかけるように、

2017年06月20日 08時20分02秒 | 聖書
すべての国々の間でイスラエルの家をふるい、一つの石ころも地に落とさない。(アモス九・九)
すべてのふるい分けは、神のご命令と許可によって来る。サタンはヨブに手をつける前に、神の許可を求めなければならなかった。否、むしろある意味において私たちのふるい分けは、天からの直接のふるい分けである。ここに引用した聖句に「イスラエルの家をふるい」とあることからも明らかである。サタンはあくせく働く奴隷のようにふるいを手にし、物をだいなしにしようとしているかもしれない。しかし主のご支配の手は、破壊を目的にした敵の手段を用いてその穀物をきよめられる。主の打穀場で激しくふるわれる尊い穀物よ。主は殻竿をも、ふるいをも、ご自身の栄光のため、またあなたの永遠の利益のため支配しておられる。この祝福に満ちた事実により、自らを慰めよ。
たしかに、主は手に持っておられる箕を用いて、尊いものと卑しいものとを分けられる。すべてが真のイスラエルではない。倉の中にうず高く積まれているのは、きれいな穀物ではない。だから、あおぎ分けることが必要である。ふるいの中では、真の重量をもつもののみ力がある。実質のないもみがらは、風の前に吹き飛ばされなければならない。真の穀物のみが残る。
主の小麦が全く安全であることに注意せよ。最も微細な穀粒ですら、保存されるという約束を与えられている。神ご自身がふるい分けをされるゆえ、それは激しいものである。神はあらゆる場所で、「すべての国々の間で」ふるわれる。神は最も有効な方法をもって「ふるいにかけるように」ふるわれる。しかし、それにもかかわらず、最も小さい、最も軽い、また最もしなびた穀粒すら地に落ちることはない。個々の信者はみな、主の前に尊いのである。母親がその一人の子どもを、人がその身体の一部分を失うことを欲しないように、主は贖われた民の一人でも失われることを欲されることはない。私たちがどれほど小さくても、もし主のものであるならば、キリスト・イエスの中に守られていることを喜ぶことができる。
 
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