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◆後になると……。

2017年05月18日 23時34分22秒 | 聖書
(ヘブル一二・一一)
試練を受けたクリスチャンは、後になればなんと幸福になることであろう。あらしに続く静けさほど、静かなものはない。雨上がりの後の輝かしい日光を喜ばないものがあろうか。困難の丘をよじ上った後に、休息をとるためにあずまやに座る。屈辱の谷を横切った後、またアポリュオンと戦った後に、いのちの木のいやしの枝を手にした輝く御使いが現れる。私たちの悲しみは、海上を航行する船のように、その後ろに「後になると」という聖い光の銀の線を残す。かつて、苦しんでいる罪深いたましいを支配していた恐ろしい混乱に続くものは、平和すなわち快い深い平和である。
幸福なクリスチャンの状態を見よ。彼は最善のものを最後に見る。だからこの世においては、まず最悪のものを受ける。しかし、その最悪のものすら「後になると」よいものとなる。苦労して耕す者には、喜ばしい収穫がもたらされる。現在においてさえ、損失をこうむることによって富む者となり、倒れることによって起き上がり、死ぬことによって生き、むなしくされることによって満たされる。もしこの世においても、その痛ましい苦しみがこのような平和の実を結ぶとするならば、「後になると」天において得られる喜びのぶどう酒はどんなであろう。クリスチャンの暗夜が、この世の昼のように輝いているとすれば、その昼はどんなであろう。彼の星あかりでさえも太陽よりも輝くならば、その時の太陽はどうであろう。彼が獄屋の中でさえも歌えるとすれば、その天国における歌は、どれほどすばらしいものであろう。彼が炎の中でさえ主を賛美するとすれば、永遠の御座の前で、いかに主をほめたたえることであろう。もし今、悪が彼にとって善となるならば、その時のあふれるばかりの神の善は、彼にとってどれほどのものであろう。
ああ、幸いな「後になると」よ。後に来る王冠のために今十字架を担おうとしないのはだれか。ここに忍耐がいる。なぜなら、安息と勝利は現在にはなく、「後になると」来るからである。おお、たましいよ。待て。そして忍耐をして全きわざをなさしめよ。
 
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