座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

◆父がわたしにお与えになる者はみな、

2017年07月29日 15時32分10秒 | 聖書
わたしのところに来ます。(ヨハネ六・三七)
この宣言のみことばは、選びの教理を含む。父なる神がある人々をキリストに与えられるのである。それは、「有効召命」の教理を含む。与えられた人々は必ず来なければならず、また事実来るのである。彼らがいかに頑強に抵抗しても、暗やみの中から神の驚くべき光の中に導かれる。それは私たちに、信仰が欠くことのできないものであることを教える。キリストに与えられた人といっても、イエスに来るのでなければ救われないからである。キリスト・イエスという門を通る以外に、天国への道はない。父なる神が私たちの贖い主に与えられた者は、すべてそのみもとに来なければならない。したがって、キリストに来なければ、だれも天国に入ることはできない。
おお、この「来ます」ということばの含む力と尊厳よ。主は、彼らが来る力をもっているとも、来ることを欲するなら来ることができるとも言っておられない。「来ます」と言われる。主イエスはそのための使者であられる。みことばと御霊により、人々を穏やかに優しく、来ないではおられないようにさせて、婚礼の晩餐を食べさせてくださる。そしてこのことを、主は人間の自由意志を妨げることなく、恵みの力によってなさる。ある人の意志を私が支配しても、その人の意志は完全に自由であることがある。その時は強制が人間の心の法則に従って働くからである。イエスはこのことをご存じで、反抗できない議論をもって理解力に訴え、力強い理由をもって情に訴え、たましいのすべての力と情の上に不思議な聖霊の力を及ばせて、人を全く征服される。かつて反抗していた人も、愛によって征服されて、喜んで主のご支配に従うようになる。
しかし、神に選ばれた人であることをどのようにして知ることができよう。それは結果によって知ることができる。彼らが喜んでキリストを受け入れ、単純な偽りのない信仰をもってみもとに来て、救いのすべて、願いのすべてとして、主に憩うことによって。友よ。あなたはこのようにイエスのみもとに来た。
 
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 「しかし、みこころは一つで... | トップ | 7月29日(土)のつぶやき »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

聖書」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。