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「世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、

2016年10月17日 16時17分02秒 | 聖書

あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう」(Ⅰヨハネ3:17)

こんな人が目の前にいたらどうだろう。
いつもケチをつける人、何かにつけて文句ばかり言う人、自分の思い込みで決めつける人、自分の事を喋るばかりで、人の話を聞かない人、いつも自慢する人、人のあら探しばかりしている人、人の悪口ばかり言う人・・とてもじゃないが、「好き」になれない。

しかし、聖書に一言も、相手を好きになれとは言っていない。「愛しなさい」だ。
愛する事は、好きになる事ではない。好きになれなくても構わない。
好きになれずとも、愛することはできる。

聖書の中で言っている愛は、すべて「意志的愛」だ。
感情の愛ではなく、意志の愛だ。浮き沈みの激しい感情に、愛が依存していたなら、どこへ行くかわからない。
感情はコントロール不能だ。

しかし、意志はコントロールできる。
愛するとは、相手の必要が生じた時に、自分に出来ることで犠牲を払うことだ。
自らの時間、労力、富の一部を献げることだ。

「塩狩峠」のように命を献げるなどと、大きな事は普通の人生では起こらない。
日常で、目の前の事、小さな事であっても、自分の持っているものを与えて行くこと、それが愛することだ。

自分にできる事をすればよい。今、具体的に聖霊によって示される事があるだろうか。
行ないと真実をもって愛するなら、神の御前に心を安らかにされる。

そして大胆に神の御前に出ることができ、求めるものは何でも頂くことができる。

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愛するとは、御霊の示されるままに、自分の時間、労力、富を献げることだ。
自分に出来ることで、少しの犠牲を払うこと。
それが行ないと真実をもって愛することであり、神に喜ばれることだ。
神に従うので、祈りが答えられて行く。

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