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◆偽りのくちびる

2017年05月11日 06時37分30秒 | 聖書

偽りのくちびるは主に忌みきらわれる。
真実を行なう者は主に喜ばれる。  (箴言一二22)
かつて、「私はけっしてうそを申しません」という大うそをついた総理大臣がいました。私たちの社会は、上は首相から下は幼い子どもまで、うそでいっぱいです。大人同士では「うそも方便」といいますが、子どもには「うそつきはどろぼうの始まり」といましめます。いったい、うそとは何でしょう。事実でないことがうそ、ほんとうでないことが偽りであるわけです。そして、「心と違う口のことば」がうそではないでしょうか。
イエス・キリストのたとえ話の中で、お父さんが二人の息子に言います。「きょうはぶどう園へ行って働いてくれ。」兄息子は調子よく、「はい」と答えましたが、実際は行きませんでした。弟息子のほうは、「ぼくいやだ」と言いましたが、後で悔い改めて行きました。兄息子は口先ではいいことを言っても、心の中では、初めから畑に行く気がなかったのです。調子のいいなめらかなことば。――しかし、これがうそです。
なぜ、人はうそを言うのでしょうか。
第一は、自分をよく見せようという見えのため、第二は、ほんとうのことを言うと都合が悪いから自分の立場を守ろうとするたくらみのため、第三は、自分の罪や悪がばれて恥をかかないための保身術です。
うその特徴は、二つあります。
第一は、一つうそを言うと、第二、第三のうそで塗り固めなければならないことです。第二は、いつかは必ずばれることです。一つ残らず白日のもとにさらされ、神のさばきを受けます。めっきははげます。神は偽りのくちびるを忌みきらわれます。
真実な心を持ち、真実を行う人は、主に喜ばれます。聖書は、「心に信じて義と認められ、口で告白して救われる」(ローマ一〇10)と申します。心と口を一つにし罪を悔い改めて神の胸に飛びこむことから、真実な者の歩みが始まるのです。
 
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