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◆自分の死を願って……。

2017年05月19日 17時24分29秒 | 聖書
(Ⅰ列王一九・四)
これは実に驚くべきことである。決して死ぬことなく、神が無限によき運命に定められた人、たつまきで天に運ばれ、死を見ることなく移されようとする人が次のように祈ったのである。「私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから」と。ここに、神は常に祈りに答えられるとは限らないが、結果においては、常に答えられたのと同じことになるとの記憶すべき実例を見る。神はエリヤに、求めたよりもよいものを与えられた。こうして実際には彼の祈りを聞き、祈りに答えられたのである。獅子のような心をもつエリヤが、イゼベルの脅迫に会い、意気消沈して死を求めたことは不思議であったが、私たちの天の父が、失意のしもべの言うままにいのちを取ることをされなかったのは、非常に情け深いことであった。
「信仰による祈り」の教義には制限がある。私たちは、自分の願うことがすべてかなえられると期待すべきではない。時には願いが聞かれないことがある。それは見当違いのことを願っているからである。もし私たちに約束されていないことを求めるならば、主が私たちに求められるのとは反対の心を抱くならば、また、主のみこころに反したことを求め、摂理に反したことを求めるならば、単に私たち自身の安楽を求め、主の栄光に目を注がないならば、求めるものを受けることを決して期待してはならない。
しかし信仰によって、少しの疑いも抱かずに求めるならば、たとえ私たちが要求どおりのものを受けられないとしても、それと同等のものか同等以上のものを受ける。ある人が「主は銀で支払われなければ、金で支払われる。もし金で支払われなければ、ダイヤモンドで支払われる」と言ったように、もし主が、あなたの求めたとおりのものを与えられないならば、それと同等の価値のあるものを与えてくださる。あなたが代わりとして受けて非常に喜ぶものを与えてくださる。
だから愛する友よ。多く祈れ。そして今夜を、熱心なとりなしの祈りの時とせよ。しかし、あなたが何を求めるかに注意せよ。
 
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